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July 2006

2006.07.31

うろうろメコン沿い旅

10日ほど、夏休みに出ておりました。
今回は、のんびりしたいというよりは、うろうろしたい気分だったので、
バンコク→ウボンラチャタニー(空路)→ラオス南部(ドンデッド)→カンボジア北部(クラチエ、コンポンチャム)→プノンペン→カンボジア西部(バッタンバン)→アランヤプラテートで国境超え→バンコク
という旅となりました。プノンペンからバンコクへは空路と考えていたのですが、結局のところ時間があったのと、カンボジアの交通機関と道路が想像以上によくなっていたので陸路で戻ってきました。

以前、聞いていた話では相当大変なんじゃないかと思っていたのですが、ラオス→カンボジアも旅行者を集めてツアー化されており簡単。カンボジア国内も道路の整備とともに公共バス(それも時間通りに発車する!)が非常に多く走っており、少し高いけれど問題なく移動できました。今回の驚きはそこに尽きるかな。
結構忙しいルートでしたが、プノンペンまではメコン川を眺めつつのんびりできました。

ぼちぼちヒマを見て、アップしていきます。

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2006.07.29

あっさり国境超え。

朝、6時半ごろに市場横でソバの朝食を終えて7時にホテルをチェックアウト。
国道沿いにあるピックアップトラックの乗り場から国境のポイペトまでいくトラックを探さなければいけない。快適な大型のバスは昼までない。おそらくプノンペンから来るバスのためだろう。
ポイペトは7年前、タイからカンボジアに入ったときに通った。国境といって片付けるには雑然と騒然、物騒な町だったことが記憶にある。国境からピックアップトラックを捕まえたがその後の道は「クレーター」だった。
カンボジア西部は最後までクメールルージュの支配下にあったところなので、道路整備やらも相当遅れている。今回のバッタンバンからポイペトも過去の情報だと「相当な悪路」が想像され、トラックバスの荷台ではなく中(助手席となり。ただし一人ではなく数名つめこまれる)に乗る必要があった。

思ったより簡単にトラックバスは見つかったのだが、ポイペトに行くからだろうか、妙に馴れ馴れしい気味悪い男たちが荷台に乗っていて、あまりいい思いがしなかった。それを客引きの若いお兄ちゃんは察しただろうか、「あっちに同じ値段で車がある、狭いけれどあっちが早い」と言ってくるではないか。
願ったりかなったりで、客引きについていくとそれは「トヨタのカムリ」だった。
こういう未舗装が多いカンボジアこそRVだとか4WDという車の出番だと思うのだが、カンボジアでは「カムリ」がやたら多い。事情はよくわからないのだが。。。とはいえこのカムリもこの悪路を無事に切り抜けているわけではなく、フロントガラスには渦巻き状のヒビが入っていた。
200609cambodiakamuri
カムリの後部座席には既に3人、前には1人のオバちゃんがいた。ポイペトまで「仕事で」行くと言う。オバちゃんたちは小さいので、4人ですわっていてもそう狭いわけではない。
前には、その後で米俵を持ったおばちゃんが一人乗ってきた。さあ、出発かなーなどと甘い事を考えていたら、最後に一人若い学生風の男性が詰め込まれてきた。彼がいくらカンボジア人といえど、この女だらけのぎゅうぎゅうな座席に一瞬躊躇しないわけがなかった。。。
ドライバーは小柄な若い男の子、合計8人を乗せて出発である。いくら小柄なカンボジア人といえど、前は相当狭いはず。
この詰め込まれ方を見るにつけ、毎度ながら「イナバの物置き、何人のっても大丈夫!」というコピーが頭によぎるのであった。

道はやはり未舗装道路だった。砂埃がすごい。まわりには水田が広がり、牛が畦道の草をたべながらのんびり歩いている。。。。
とはいえこのあたりはかなり後期までクメールルージュの支配下にあったのではないだろうか。地雷はまだどこかに埋まっているのだろうか。
今は使われていない鉄道線路は人々の生活場所となっていた。この線路はタイの国境を超えて続いており、復活させようという計画があるがいつになるのだろう。

途中、オバちゃん達と車の中からフランスパンのサンドイッチを買い求めた。
パパイヤの千切りを酢漬けしたものとハム、そしてチリソース(かなり辛い)をはさんだバゲットだ。これが思いがけなく美味だった。作ったらすぐ食べないといけないが、フランスパンとパパイヤの甘酢がこんなに合うとは。日本に帰ったら試してみようと思った。

いつの間にか、中継の町/シソポンも抜けてしまった。道がよくなっているからだろうか、以前聞いたよりもずいぶん早いペースだ。
と思っていたら午前10時にはポイペトのイミグレ前のロータリーに到着していた。
カジノが乱立し、イミグレとイミグレの間にも大きなカジノがあり、午前中だというのに中国人らしい団体が博打に興じていた。私はその脇をすり抜けてトイレを借りた。きれいな西洋トイレであった。。。

あっさりカンボジア出国タイ入国。7年前のおっかなびっくりもなかったのは、私が年をとったせいもあろうが。。。
アランヤプラテートのマーケットは大きく変わっていた。以前は木造のうすぎたない暗いマーケットであったが、今やコンクリートでこぎれい、華やかとすら感じるこぎれいなマーケットに変ぼうしていた。
一安心して、アイスコーヒーを飲んでオバちゃんのバイタクでバスターミナルへ。
国境からはたっぷり10分以上バイクに揺られる必要があるが、無事以前見たようなバスターミナルに到着し、11時半のバスに乗る事ができた。
途中、ひき肉の辛い炒め物とライス、焼き鳥をかいバスの中で「うおっ辛い」などと独り言をいいながらむしゃむしゃ食べた。口直しには青いマンゴーをぽりぽりと。

ウィークエンドでにぎわうバンコク、モーチットに到着したのは4時すぎだった。
予想以上スムーズに、バッタンバンからバンコクまで来れてしまった。

その後は、カオサンの寺裏でベッドとまくらが快適なゲストハウス(トイレ風呂はinside!)に部屋を取り、いつもの洗濯屋に頼み、ぶらぶらしながら日本語の古本を買った。シャワーの後で本をひらいて、ようやくビール。
1日でここまで来れるなんて信じられないことだなあ。

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2006.07.28

バッタンバンと旅の方法と

8時半のバスでバッタンバンへいく。バスターミナル近くの中華料理屋でヌードルを食べたが、高値でどうもツーリスト価格だったようだ。路上で赤い餅米とキビ(黄色いお米みたいなもの)にココナッツをふりかけた、ごはんともおやつともつかないものを買い求めてバスの中で食べる事にした。
バスは定刻通りに発車した。
騒がしい町を通り抜け、国道へ出る。国道5号線も整備されており、これだと定刻通り着くなと思いながら私はあっというまに眠ってしまった。
喉はあまりよくないが、移動しているほうが気分的には楽だ。
12時前に国道沿いの食堂で昼ご飯と相成った。少し高めではあるが、味はまあまあだった。
カンボジアでは食堂に入ると、氷入りのコップが出されるが、客は一度水などで氷を洗ってからお茶等を注いでいる。私も見よう見まねで同じ事をやるが、不思議とこの旅では氷絡みのお腹を壊すことがない。今までは氷を食べた後(かき氷とか)は必ずお腹が緩くなっていたものだが、カンボジアの氷の質が上がっているのか? そういえば氷屋はたくさん見てきた。
同じバスに乗っていたもう一人の外国人が話し掛けてきた。年は四十ぐらいだろうか。時間があったのでいろいろ話をした。彼はずっとアジア地域に住み最近まで中国で英語教師をやってきたが、カンボジアで仕事したいと思ってやってきたそうだ。だがプノンペンは「ガイジンがやたら多くて仕事なんかないね」ということであった。
こういうガイジンはかなり、多い。そういう人生をおくってみたい私なんかは、「ちっくしょー英語がはなせるから人生フレキシブルでいいよなーっ」(羨)と思ってしまうのであるが。
しかし彼からは、タイ語圏の人の英語の癖を教えてもらったりとなかなか有意義な話しが出来たのはよかった。

バスの社内ではだいたいVCDがかかっている。初めはくだらない女の子3人組の踊りと歌だったが、パリスヒルトン並みにやる気がない、ゆらゆらした踊りで楽しく無さげである。でもこの映像は別のところでも見たので、はやっているグループなのかもしれない。
くだらない踊りが終わり、コメディ番組に変わると乗客は大笑い、大歓声。何気なく見ていたが、わかりやすいコメディだ。見ながら気が付いたのだが、この番組は視聴者も出演者も全く同じ椅子、アジア地域で食堂などに使われているプラスチックの椅子に座っている。テレビの現場も、日常品なのである。

1時過ぎにはバッタンバンについた。
いっしょに乗っていたスティーブと客引きをふりきりながらだらだらと町の方角へ歩きはじめた。まだ陽も高く、町も小さいので適当にホテルを何件かみて決めようと思っていたため、客引きは面倒くさい。
スティーブは道ぞいの家具屋に入ったり、私は路上の屋台を眺めたりと時間をつぶしながらダラダラと進んだ。しかし、こいつらはバイクの速度を落としてゆるゆるとついてくるのだな。
スティーブは客引きが嫌なようで、ぶつぶつと文句を言っている。
喉がかわいたのでとりあえず、市場の中でコーヒーを飲むことにした。
私が客引きをけむにまきたいときはそのへんでお茶を飲むという手段に出るのだが、全く同じ事をスティーブが提案してきたのに、私は少なからず衝撃を受けた。
私の旅の方法は、どうも「オヤジ臭い」のではないかという危惧である。。。

市場のなかでアイスコーヒーを飲みながら、店の女の子からスティーブは安宿の場所を聞き出した。大通りを渡った角だったので、みつけやすかった。
ゴールデンパロットというホテルで角にあるので見晴しはよいがちょっと古い。ただ便利なのでそこにした。廊下にはカンボジアではどこでも見る「No.1」の広告が貼ってあったりと「ちょっと如何わしい」臭いのするところである。
No.1とは、コンドームのブランド。2階の廊下にいは箱ごと捨ててあったりと、まあ、安宿だけにそういうことにも使われているようであった。

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2006.07.27

プノンペンで疾走

プノンペンは6年ぶりだ。前回は2000年の新年をプノンペンの場末ゲストハウスで迎え、夕方食べた氷アズキに当たって寝ていたら爆竹が鳴って新年を知った。
そのときの印象は「物騒な町」。夜は出歩かないほうがいいと旅行者の間でも言われたし、そういう気もしない町だった。

コンポンチャムの朝は汗だくであまり寝た気がしなかった。足下から扇風機をがんがんかけていたのでなんとなく喉がやられた気がした目覚めだったが、朝8時半のバスでコンポンチャムからプノンペンへ向かった。
朝ごはんは市場でお粥を食べ、アイスコーヒーを飲んだ。カンボジア人は本当にコーヒーが好きだ。私もことあるごとにアイスコーヒー、コーヒーばかりを飲んでいる。
バスは時間通りに出発。
青い水田が広がる。こういったきちんとしたバス以外にもトラックバス、乗り合いバスは健在でこれでもかと人とモノを載せた車が行き交う。ワゴン車ももちろん荷台の上まで人が乗っている。

窓の外が賑やかになってきた。また大きな橋を渡るともうそこはプノンペン市街北部だ。プノンペンは2つのホテルエリアがあり、町中は相当うるさい。今回はレイクサイドにいきたかったのでプノンペンホテル前で下車した。
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今日はちょっとまともなホテルに泊まりたかった。というのも、昨晩が信じられないほど蒸し暑かったのでエアコン付きの部屋に泊まりたかったのだ。たまにはいいだろうと。
8ドルの部屋にした。それなりにちゃんとしているが、後で考えたらエアコンはそんなに使わなかったし、いつものランクでよかったのかもしれない。

以前来たとき、プノンペンではキリングフィールドやトゥールスレーン収容所は見ていたので今回は行かない。今回の目的は国立美術館だ。
荷物を置いて、自転車を借りた。1ドル。
プノンペンの道はカオスだ。最も多いのがバイク、車、トゥクトゥク、サイカー、自転車が入り乱れて走る。私は免許を持っていない。交通ルールについて基本的に疎い上、自転車に乗っているとよく人から「見ているだけで恐い」と言われる運転なのであるが(わはは)、こっちの運転は早い、乱暴。
右折も左折も恐い。のんびりと走るわけにもいかない。必死に誰かの後ろを追っかけるのが最善の策である。
というわけで、必死にキコキコと自転車を漕ぎまずは翌日のバスを予約しておいた。
マーケットでいろいろ観察した後、また自転車に乗って必死に走り目指すは国立美術館。
あまりにも必死にバイクや自転車についていったので、曲がる場所で曲がれず、ずいぶん迂回した挙げ句に到着した。

思ったよりも充実した彫刻類を堪能した後、川沿いに出てみた。メコン川はプノンペンでトンレサップ川と合流するのだ。もう夕方の水浴びの時間、子ども達は高いところから素っ裸で川に飛び込んで楽しそうだ。
オルセ−マーケットの近くまでまたもや汗だくになりながら自転車で進んだ。排ガスもクラクションもひどい町であるが、夕暮れ時なので渋滞ひどく口の回りはタオルで覆わないと苦しいほどだ。
オルセーマーケットでは、紙製のチャンピオンベルトがたくさん売られていたがあれは何をするものなのだろう?

定番の甘味屋台ではカンボジアならではのかぼちゃプリン。
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近くで臓物ヌードルを食べた後、その前の屋台でソムタムと甘い焼き鳥を食べた。女子高生とオヤジたちがならんで風呂の椅子に座って、これを食べている。とてもおいしそうに見えたのだ。
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ソムタムも自分で辛味を調節でき、肉といっしょに食べるとさっぱりしてうまい。
また必死に自転車を漕ぎ、ホテルに戻ったところで激しいスコールが起きた。すぐそこのホアンキエム湖が見えなくなるほどの激しいスコールだった。
明日はバッタンバンへ移動だ。

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2006.07.26

カンボジアの田舎町

朝7時半のバスで私はコンポンチャムへ行くことにしていた。
当初ガイドブックなどによるとボートが交通手段だと思っていたためボートはないかと聞いたのだが、今や定期運行は少なく、バスが安くて早いという。バスもまたツアー客のワゴン車かと思いきや、りっぱなタイの高速バスのような公共バスが走っており、コンポンチャムまでは4時間弱程度だという。

その前に市場をぐるっと回って、忘れずに朝食。ようやくソバを食べた。1000Rで実にうまい。具には臓物をゆでたものが入っているのがカンボジアらしい。
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臓物といっても、日本のモツように醤油で煮しめているのではなく味付けはかなり薄めだ。6年前にシェムリアップでなんとなく人が多い店で隣の人が食べている麺を頼んだら、臓物入りで「うまい!」と思ったのだった。ここも人気屋台らしくひっきりなしに人が来た。ライムを絞って、さっぱりといただいた。隣の女の子は寒天のような麺をすすっていた。あれもおいしそう。

バスは国道7号を通る。道はずっと鋪装されて快適だったが、とつぜん白線のひかれた完全鋪装の道が現れ、11時には大きなメコン川にかかる巨大な橋を渡ってコンポンチャムに到着した。ここでフィリップとミハエルとお別れ。
はっきりいうと、私の英語は相当退化した。私はフィリップの話すスピードに大変な思いをした。でも、面白い奴らで楽しかったよ。よい旅を。
町は小さくホテルまですぐ歩けた。川沿いにあるゲストハウス、川に面したテラス前の部屋で4ドル。カンボジアでは、どうも4ドルというのがスタンダードプライスになっているらしい。

ちょうどお昼時。市場横のおかずを並べた食堂に入った。
苦瓜の肉詰めスープが気になったからだ。そしてナスのレッドカレー、春雨のサラダで3000R。苦瓜のスープはしっかり苦く、おいしかった。
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この町の近くにワットがある。しかし、ホテルの人はまったく英語が通じず、バイタクの相場が分からなかったのであとで考えたら高くついたなあと思ったのだが、これも仕方がない。
4時間ほどで、ワット・ノコールと、プノン・プロスとプノン・スレイへ行ってもらった。
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ワット・ノコールは12世紀のクメール寺院なのだが中央のお堂には現代風のお寺がちゃんと増築されている。だから離れてみると、遺跡の中にタイのエメラルド寺院みたいな角生えの屋根が見えるのである。
遺跡の中には百日草が咲き、裏は椰子の木の一本道。遺跡でありつつもなんだか生活感も溢れる雰囲気だ。寺のなかでは、おばあさんとおじいさんたちがくつろいでおしゃべり。

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しかし生活感にあふれすぎて、ワットの境内で小便などするばあさんたちがいたのにはたまげたが。。。ま、いっか。

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私は子猫をカメラでおいかけながら少し休憩した。

バライ跡では、牛が草をはんでいた。
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プノン・プロスとプノン・スレイは、男山と女山という意味で向かい合って並んでいる。どうも以前はプノン・スレイは登れなかったというが今は膝ががくがくする疲れる階段があり、その上からはカンボジアの大地を眺めることができる。2つの山の間には今やなんだかよくわからない現代風の大仏、そして25ドル寄付すると立ててもらえる等身大仏像(もちろん記名入り)もあったので、一瞬考えたがかろうじて止めた。

思いのほか早く帰って来れてしまい、たかが4時間で払い過ぎたなあ、と思っていた。すると「もう少しどこか行きたいなら連れて行く」とバイタクも言ってきた。ああ、田舎っていいなあ。

戻ってからテラスでのんびり本を読みながら光り輝くメコンを眺めつつ、
「あー ビールのみてえ」
ちょうど飲みに行こうとしたところで、向かいの部屋の外国人旅行者と会ったので二人で午後酒をした。聞けばバンコクからプノンペンに今朝到着し、騒がしいプノンペンを避けてコンポンチャムに来たのだとか。

夕飯時。市場方面に歩いたが、昼やっていた食堂は夜はやっていない。道ばたで売っている焼き鳥や焼き魚もいいのだが、やはり座っておいしいものを食べたいのである。たとえ屋台とはいえ。
すると市場の反対側にいくつか夜食堂を発見。のぞくと、おいしそうな焼きそばをみんなが座って待っている。オバちゃんに一つ注文し、待つ事しばらく。
牛肉と青菜の炒めあんかけ麺、これがこの旅行の中で忘れられないうまさであった。
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川岸に歩いて行くと、やはりあった。「かえりかけのアヒルの卵をふかしたもの」。
実は、これが好きなのである。コクがあって濃厚な味がする。おつまみ程度で食べられるのもいい。2つほどむしゃむしゃと食べ、最後は川に面したメコンlazydaysというカフェでビールを飲みつつ本をよんだ。
休みっていいなあ。

しかしこの夜は死ぬほど蒸し暑く、汗だくで眠る羽目になった。

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2006.07.25

カンボジアへ。そして一頭のイルカ。

夜中激しく雨は降ったようだが、朝には止んでいた。
8時前、カンボジアツアー参加者は徐々に集合。先にきていたデンマーク、スイス、オーストラリアのヤツらと挨拶を交わした。渡し船でバンナカサンへ向かい、そこから屋根付きワゴン車で出発。合計14人になった。
30分ほども揺られると最初のポイントでカンボジア側の車に乗り換えた。途中までよかった鋪装の道路だが、この先突然泥道に変わり、原生林の中をいくような道路に変わった。

10時にはラオス側イミグレーションに。
森の中の小屋。それがラオスのイミグレだった。
そこに旅行人がつめかけスタンプをねだる。公然賄賂1ドル付である。
小屋の後ろではバドミントンに興じるイミグレの人たちがいた。
200609laoborder
なぜかブレてしまったのですが、小屋っぷりを強調するためのせておきます。


また車にもどり、15分ほど森の中をまた進む。もちろん泥道である。クレーターをさけてゆっくりと進む。するとぱっと森が終わり、カンボジアのイミグレが見えた。
ビザオンアライバル、ビザ取得可能。私は東京で取ってきたのだが、ここでの大丈夫らしい。他の旅行者と話しをしながらダラダラと他の人を待つ。
砂利道が続き、ローカルの人々が時折行き交う。
200609gate
犬も寝そべるのどかなカンボジア側ゲート前。

ふと自転車にのった旅行者二人連れが見えた。話しを聞くと、カナダ人のカップル、1か月かけてビエンチャンからここまでチャリで来たのだという。ここから2週間ぐらいかけてシアヌークビルまで抜けるつもりだ、と言っていた。ラオス南部は比較的穏やかだから、こういう旅も楽しそうだ。

たっぷり1時間近くかかって全ての人にビザが出て、出発。イスラエリーが少しゴネていたようだが、とりあえず話がまとまったらしく出発である。
200609camboborder

ストゥントレンへは渡し船で町へ渡った。下流に大きな橋ができつつあったので来年には船に乗らなくてもよいのかもしれない。
あっけなく、しかも簡単に、ラオスからカンボジアに抜けることができた。
正直拍子抜けではあった。まあ何を期待していたわけではないが。
一昨年の話だと、国境から車チャーターといったのが大変だった、高かったと聞いていたのだが、カンボジアもベトナムのようなツアー化が進んで旅行者が行きやすくなっている。

昼も回っていたので、このツアーをアレンジしている代理店の軒先にあるカフェで昼ご飯になった。あまりうまくはないが1ドル。ツーリスト料金ってやつだろう。隣に座ったイスラエリーは白飯に醤油とチリソースをかけて食べていた。貧乏旅行徹底である。
ここでプノンペン・シェムリアップ行きとクラチエ行きで車が別れた。
14時、クラチエ行きのワゴン車で出発した。一緒だったのはスイスのミハエル(でもモルジブ在住)とオーストラリアのフィリップ。フィリップの発音はワタシには聞き取るのが相当難しい。

途中まで鋪装された道路だったが、すぐに赤土の道に変わり、のどかというよりも発展途上の農村地帯が広がった。家々は高床式のバンガロータイプ、簡単な木造である。そして壁はセメントや土のはいっていたビニール袋で覆われている家が多い。雨をしのぐためだと思うが、貧しいのだろう。
でも子どもは多い。すっぱだかの子どもが走り回っている。
しばらく走ると、ちゃんとした木造の家が増えととのった農村田園地帯が広がるようになった。しかし道はずっと赤土。ただクレーター状といってもそんなにひどくはなく、普通に走れる程度だ。
2時間ほどで鋪装された道に出て、クラチエ着。

ゲストハウスは前にフィリップが泊まったことがあるという4ドルのところにした。NGO関係者が多いらしく、設備はちゃんとしている。
「イルカ見にいこうよ」
ミハエルが壁のドルフィンツアーというのを指差しながら言った。そう、私もイルカ目当てなのである。バイクで30分ぐらいのところに村があり、そこからボートでイルカが見れるらしい。
ラオスのシーパンドンもイルカツアーがあるが、見れる確率は非常に低い。しかし、ここクラチエの村からはほぼ100%の確率で見れると聞いていた。

早速バイタクをチャーターしてもらう。往復4ドル。
川沿いの道路に広がる村々を走りぬける。カンボジアの集落に必ずあるのが政党の集会所だ。
イルカが見えるポイントは国立公園らしく入場料2ドル、ボート代5ドルと明記されている。合算すると結構、高くつく。
しかし。もう時間は5時前。曇ってきた。今日もスコールなのかもしれない。「来るのが遅すぎる」とチケット売り場の青年が言う。一番いいのは朝、早朝なのだそうだ。
船頭が「雨が降りそうだから長くは居られないが、さっきも居たから多分見れると思うよ」(チケット売り場の青年の通訳)ということで、私らは早速乗り込んだ。

もともとはメコン川に川イルカは多数生息していたのだそうだ。クラチエの町中からも見えたらしい。しかし内戦などでイルカは追われ、今はこの村の近辺に住んでいるだけなのだとか。
川の中州の方へ船はエンジン音をたてて進む。このへんは漁師も多く、漁船がちょうど戻ってくるところだった。
雲もあっという間に空の半分を覆ってきた。
すると船頭が、右手の方角を指差した。
ほんの5メートル先、一頭のイルカが水面上で弧を描いた。
黒く、つやつやした背がしなやかにジャンプした。
あっと言う間の一瞬だった。

次の瞬間には大粒の雨が降り始め、船は戻りはじめた。
たった一頭ではあったが、こんなに近くで見れるとは。
スコールはますます激しく。建物の蔭で物売りの子や、バイタクのお兄ちゃん、他の観光客と一緒に雨宿りすること40分。
少し小降りになってきたのを見計らい、バイタクで来た道を戻った。

日が暮れても6年前感じたカンボジアの殺伐とした雰囲気とは程遠く、小さなナイトマーケットやひとがぶらぶらと川沿いを歩くのんびりした田舎町だった。

8/6記

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2006.07.24

怠惰なリゾートの贅沢な一日

翌朝目覚めたら8時すぎだった。雨はやんで、晴れている。
鶏は5時ぐらいからバンガローの下で餌をあさっていたのは聞こえていたが。そして、身をおこすと、ドアが開いていた。全開だ。
ロックのかけかたが甘かったらしい。慌てて貴重品を確かめたが、何も異常なし。
のんびりしたラオスの島である。

朝ごはんにバゲットとトマトと玉子の炒め物を頼む。そしてラオスコーヒーも。
この島は何もない究極のリゾート地なので、地元の人たちが食べたりする大衆食堂はない。食べるとなるとガイジン食堂になるというわけだ。まあリゾートと割り切れば、ここはバンガローも安いし、とにかく静かで「何もない」のでのんびりするには最高だ。
200609laoslodge

午前中は集落をぶらついたが、ゲストハウス、バンガローが以前よりも大量に出来ていたので、いつ来ても泊まる場所には困るまい。選択肢は相当増えたと思われる。
とりあえず翌日にはカンボジアに行こうと思っているので、インフォメーションボードの前で聞いてみた。以前は国境までのツアーしかなかったが、今やカンボジアのストゥントレン、クラチエ、プノンペン、なんとシェムリアップまでのツアーがドル建てで組まれている。クラチエまでなら店によってばらつきはあるが10ドル〜13ドル。どこで買っても同じツアーである。
クラチエにはイルカがいるというし、クラチエまでのチケットを買っておいた。到着は15時半と書いてあった。

200608trdonded
洗濯の後、ビールをのみながらハンモックでひたすら読書。「オリガ・モリソヴナの反語法」。小説の世界にひきこまれ一気に読んでしまった。ラオスとは全く縁遠いロシアのラーゲリの話であるがストーリーが巧みで気が付いたら没頭していた。かぜが吹き抜け、気持ちいい。

だいたいファミリーたちも午後にはかわるがわるシャワールームに入り水浴びをする。サロンをまいたおばあちゃんが私のバンガローの前を横切る。
3時頃、女の子達が外に干した洗濯物を急いで取り込んだ。その直後に大雨が降り始めた。空が光り、雷が近くにいることがわかる。バケツをひっくり返したような大雨だ。おかげでトイレにすら行けやしない。

夕方少しやんだ間を狙って水浴びをしたが、また再び大雨。雷雲、稲妻がぴしっと空を光らせる。ざあざあという雨音しか聞こえなくなるほどだ。バンガローはそれでも水漏れはしない。
昨日移動しておいてよかった。
面倒くさいので今日もゲストハウスでラープとビアラオの夕食にした。

一日、何も考えずのんびりできた。
自分にとっての最高のリゾートは、と聞かれたら今はこの場所しかない。
(でもここまで来ないと日常から逃げられないってのはあるいみ相当の重病人ともいえるのだが)
ドンデッドの怠惰な一日は全てを忘れられる程。この島のリゾート臭さを嫌う人もいるけれど、所詮一介の旅行者にすぎない私はこの島が好きだ。「何もなさ」はそのままであって欲しい。
短いラオス滞在ではあったが、ドンデッドに再び来れてよかった。

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2006.07.23

一気にドンデッド

朝6時半の国内線でウボンラチャタニーへ。これはAirAsiaという格安をネット予約しておいた。700バーツ+燃油サーチャージで合計1400B弱。もっと早く予約しておけばもおう200バーツぐらいは安くなったはずだが。
朝5時起きで空港へ行く。格安航空会社のポップなロゴが華やかなロビーの一角でチェックインが行われる。プリントアウトした予約を見せ、搭乗券をもらう。。。
「はい、6時5分までにゲートへ」
彼女が手渡したのは、感熱紙のレシート2枚。
大きさ的には、幅広の西友タイプのレシートである。
200608trticket
これが搭乗券らしい。Air Asia bording passと記載されたレシート2枚。
私の名前も、ゲートナンバーも、ゲートへ入る時間もちゃんと明記されている。
格安航空会社、こういったところからコスト削減なのか。

もちろんゲートは使わず、バスで移動だ。格安便は朝のこの時間に集中しているらしく各地方に向かう便が5分刻みで待っている。機体も格安便だけがある一角にきれいに並んで待ち構えていた。
機内に入ると赤い服のアテンダントが、一言。
「フリーシート」 ハー。飲みものなんかも全部有料であった。

座ってからパンを食べた後すぐに眠ってしまったため、1時間後目が覚めたときには下降状態であった。雨がけっこう降っているようだ。
ウボンの空港着7時35分。タラップを下りると、傘が手渡された。AirAsiaと書かれた真っ赤な傘。これをさして到着カウンターまで行ったのであった。
200608trubon

到着して5分後には客が消え失せたロビー。バスはないのかと聞いたが、バスはないらしい。仕方ない、タクシーを交渉する。値下げに応じてくれたやり手マダムのタクシーで送ってもらうことにした。
空港からワリン広場のバス停は少し遠い。英語が流暢なドライバーはワリン広場に着くと、バスとソンテウに当たってくれ「このバスが一番早く出る」といいながら、荷物を運んでくれた。
200608trubonbus

今日は土曜のせいか人があまりいない。ピブンマンハサーンでソンテウに乗り換えるが、ここからが意外にノロノロで、国境のチョ−ンメックに着いたときには11時をすぎていた。
国境バスターミナルから国境のイミグレまでは歩いても近いのだが、ソンテウが待ち構えて載せせようとする。逃げるついでにトイレに行っていたのに、勝手に待っていてくれた。まあ、ちょっと急いでるし乗るか。ダメな旅人である。

タイ側の国境には紫色のキテレツなイミグレ建物が出来上がっていた。まだ使われてはいないようで、その右にある掘建て小屋がイミグレなのは前回と同じ。その前は土道で、おおいにぬかるっている。
あっさりとラオス側へ。ビザは30ドル、たかだか2、3日の滞在に高いビザ代であることよ。そして手数料。これはもう公然たる賄賂である。
受け取ったパスポートをよくみたら、いままでラオスビザは15日だと思っていたのだが、なぜか同じ値段で30日のビザになっていた。間違い? とはいえ、もう12時だ。急がねば。

ラオス側には木造の汚いマーケットが広がっていたのだが、それが何ごとがあったのか知らぬが、全壊。ハリケーンでもあったのかと思うような全壊具合であった。その間を犬と子どもがかけずりまわって遊んでいた。
ソンテウに乗りこんで待っていると、湿ったテレビの箱を抱えた女の子二人と冴えないオジサンが乗ってきた。女性は年の頃20代後半か。私の向かいに座り、大量の1000バーツ札を数えていた。私よりも金持ちかもしれない。
私は心の中で、「やり手ネエチャン」と名付け、きっと国境貿易で稼いだ金でタイにテレビを買いに行った帰りなんだろうなあと勝手に想像を開始した。彼女の妹らしい女性は姉ほど賢そうではないが、誰かよく似た人がいるような、だけど誰だか思い出せない。ちょっと鼻が上向きで、唇がすねたようにぷっくりしている顔。モン族かなと思う。
そんなことを考えているうちに、メコン川にかかった巨大な橋を渡りパクセに到着した。
バンナカサンに行くバスは別のターミナルから出るので急がねばならない。もう13時を回っているのだ。ラオスのバスはだいたい午後になると出ない。終バスが正午というのもザラである。
そっち方面にいく乗り合いタクシーを捕まえたがなかなか出発しない。なんでもパンをかかえた少年のママが帰ってこないのである。
いつもの癖でイライラするが、すぐに「ラオスでイライラしてもしょうがないのだった」と思い直した。ここでは、なるようにしかならない。
ようやくママも帰ってきてタクシー出発。しかし、これがバス停に辿り着くまでにあっちこっちで客を降ろし、拾い。。。
当たり前のことなのであるが、やっぱりイライラする。その都度「しょうがないのだった」と思いなおす。言い聞かせるように。
30分以上もかかってようやくバス停着。「バンナカサン?!」とデカイ声を張り上げると、1台だけ残っていたトラックバスが「ナーカサン!」と答えた。
実に幸運であった。本日、最後のバスだと思われる。目的地行きのバスが出発目前で待っていたのだった。お腹もすいたので忘れずにフランスパンサンドイッチを買い、席にすわるやいなや頬張った。ああ、ラオスだなあ。ハム入りのフランスパンサンド。

14時、トラックバス出発。どうやらガイジンは私だけのようだ。みんながこっちを見る。ニプン(日本人)だよ、というと向かいのオバちゃんがなぜか嬉しそうに手を握ってきた。
おや、トラックの奥を眺めると、国境からテレビを抱えていた姉妹と冴えないオヤジが乗っているではないか。テレビを持ってかえるのだな。
1時間もたったところでチャムパサックという町に近いところからベルギー人の親子が乗ってきた。子どもは10歳と8歳の姉弟。西洋人のオトナにはなれっこのはずの住民たちも子どもには興味津々だ。バスの乗客はもうものめずらしいものを見るかのように子ども達を眺め続ける。私の手を握ったおばちゃんは子ども達のほっぺを撫でたり、とってもうれしそうである。

快調に走り続けたバスであるが、突然、パーン!という弾けた音がして車が止まった。
見事にパンクしたらしい。
しかしラオス人、手際がよい。すぐに替えのタイヤが荷台から下ろされ、運転手と車掌と客でさっさと取り替えが進む。
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オバちゃん達は草むらで用を足している。私も混じって野○○。(スイマセン下劣で) でも野外のは、なんつうか、気分いいですね。
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途中、比較的大きな町についた。お腹がすいていたので私は焼き鳥と餅米を買いむしゃむしゃ食べた。このあたりの焼き鳥はほんとうにおいしい。肉がしまっている。ラオスの人はかぶりつかず手でちぎって食べるが、こっちは行儀悪いガイジンである。

午後5時。いろいろな集落をまわってバンナカサン。。。と思ったら通り過ぎた。しばらく走る。そう、テレビを持って帰ってきたやり手ネエチャン一族を下ろすためだった。

ある家の先に車が止まった。彼女たちが下りると子どもが抱き着いてきた。一日待ちくたびれたのだろう。
小学生ぐらいの男の子達がリヤカーをひきながら家から出てきた。
いい光景だ。。。
200609laofamily2
乗客が手伝ってテレビを下ろす。

200609laofamily
満足げな表情の「やり手姉ちゃん」です。

21インチのテレビ。今日は新しいテレビで楽しい夜のだんらんだろうか。

5時半、バンナカサン着。雨が勢いよく降ってきた。カッパをかぶり、渡し船に乗るがもう薄暗く、3ドルでもダメ。4ドルで手を打つ。高いんだよなあ、これが。
ドンデッド(デッド島)の船着き場周辺は前よりも整備されていて、ゲストハウスも増えていた。とりあえず前もとまってよかったNoy'sゲストハウスに行くと、見覚えのある姉妹達がいた。1年半前の1ドルから3ドルに値上がりしていたがとりあえず今日はとまることに。
前とおなじバンガローがあいていたのでそこに。以前はバンガローに電気がなかったが、テラスに電気がともるようになった。

12時間の移動を経てドンデッドまで。
水シャワーを浴び、雨が降り続くのでゲストハウスの中でご飯を食べることにした。ちょうどフランス人旅行者と一緒になったので3人でお話しながら夕飯。
もちろん「ラープ」である。ひき肉とパクチーやねぎ、タマネギ、赤とうがらしを一緒に炒めたものだが、ライムの酸味があってさっぱりしたサラダみたいな食べ物。カオニャオ(餅米)と食べると実にうまい。たまに激辛。
そしてビアラオ。
雨でサンセットは見えないが、実においしい一杯だった。

午後10時、電気が消えた。静かな夜、雨の音しかしない。ゆっくり寝よう。

8/5記

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2006.07.22

バンコク泊

アメリカ系航空会社を使うと、夕方成田発、深夜バンコク着となる。
ただ、前日まで仕事が終わらない(今回は出張にも行っていたんだった)身としては、夕方発というのは便利かつありがたい。
しかし必ずバンコクではターミナルのはずれに下ろされ、バスで移動するのは毎度の事。イミグレまで走り、長蛇の列を見極め、早そうなところに並び・・・だいたい到着してから空港ビルを出るのに45分はかかる。

今回は午前0時を回っていた。翌朝は国内線で6時半のフライトなので空港で寝るのも考えたが、まあいいオトナですし、空港近くのホテルに行く事にした。
「ドンムアンマンション」という比較的まともなホテルもどきである。800バーツぐらいと以前聞いた事があったので、結構高いがカウンターでちゃんとしたホテルを予約するよりは全然安いので、バイタクで行ってもらう。

歩くにはちょっと面倒な距離か。
しかし。フロントで聞いたら「1200バーツの部屋しかもうあいてない」。
へ? 高い。。。まともなホテルとあんま変わらんじゃないか。
仕方ない、今日はもうとにかくここで寝よう。
部屋は、広いが古い中級ホテルってところか。市内であれば600バーツ程度だろうな。
空港に近いが、全く騒音は聞こえない。シンハービールを飲んで寝ようと思ったが、飛行機の中で寝過ぎたからかあんまり寝られなかった。

トイレの「洗浄済み」ラベルが、便座まではさまっていた。掃除済みということをいかに強調したいか、迫り来る気迫である。(なわけないだろ)
200608trbkkhotel_1

フロントのお兄ちゃんが自分好みのめちゃくちゃかわいいメガネ男だったことは記しておこう。オバサンになった証拠だなあ。

8/5記

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2006.07.17

新カメラ

遂に買ってしまいました。新カメラ。EOS7というやつにしました。中古ですが。
中古で十分かも。

旅には間に合いました。

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マカオの路地2

マカオ、コロアン島まで行くとセナド広場のけん騒が嘘のように、ひなびた田舎町となる。
その裏に広がる細い路地はどこかコロニアル風なかおりがする。
200607macau_roji
家の間には猫がうろつく。
200607macau_cat
前回行ったときは霧雨の中、回りがよくみえない状態だったのだが、今回もやっぱり曇りだった。とはいえこの路地には曇りがよく合うんじゃないかなと勝手に思っているところだ。

コロアンまで行ったからにはもちろん、エッグタルト、食べて参りました。

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2006.07.16

夏到来

ここんところブログすっかり放置。一瞬ヒマになったと思いきや、いろんなことが起きたりくるくる回ったりしている間に時間は無情にも流れ行く。これは私が悪いのだ、などと思ってみるものの、つかの間の暇にはせっせと酒を呑んでしまい、楽しい事を優先してしまうこの性格ゆえの自業自得。深く反省。

夏休みは今回こそバルカンだと思っていたのだが、チケットの高騰(燃油サーチャージはバカにならんです)ゆえ、結局NWでバンコク往復だけは押さえた次第。
じゃ、バンコクから先どこへいくか?は今日、暑い中考えていたのだが2つ。
(1)ラオス南部→カンボジア北部→プノンペン→たぶん飛行機でタイへ
(2)ラオスビエンチャン→ジャール平原→ルアンパバーン→ビエンチャン(国内移動はほとんど飛行機使わないと×)
実は(2)は6年前に同じルートをとったのだが、途中でカメラ壊したのだった。ジャール平原で写真がとれてないだなんて、とあのときは泣きました。
(1)は一昨年断念したルートだが、雨期なのでねえ。実際のところどうのかは不明。
出発は次の土曜。

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2006.07.01

マカオの路地

だいぶ前でストップしていた香港、マカオの画像をいくつか掘り起こしてみた。マカオ市街地は旧正月前で大混雑だったものの、タイパの路地裏はひっそりとして静かなままだった。自分がこの空間を相当乱しているようだなと思いつつ、ぶらぶらと歩き回った。

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昨年よりも整備、手入れがさらにされているように感じた。

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壁のはがれ具合、まど枠、タイル。こんなものがとても美しく感じるタイパの路地。

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うろつく私を不審に思ったのか? ある犬が私についてきた。しかし私が追いかけると脱兎のごとく逃げ出してしまった。

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タイパの路地を出ると、にぎやかな窓が並ぶ住宅地。

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