2005.02.05

ラオスの子ども

laos_kids

なにをしていたのかよくわかりませんが、二人で仲良く遊んでいた男の子。
左の子は鼻をたらしていましたが、カメラを向けるとずるずるっとすすりあげてしまいました。

ラオスは子どもがとても多い。おかげで学校は二部制。
でも、その中で女の子のほうが多いんではないか、と後で気が付きました。通学風景みてたら半分以上は女の子なんじゃないかと思う。
さあどうする、ラオス男児!

子供写真はデジカメより一眼レフ(もちろんフィルム)のほうが追いやすいなあと思います。

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2005.01.22

ラオス旅ブログ終了

Laos旅ブログ、後追いでの記入でしたが、ようやく終了しました。
今日アップしたのは1月6日〜1月8日分。

1/6 世界遺産:ワットプーへ

1/6 求める風景と、旅とは。(思考)

1/7 もと来た道からラオス出国

1/7 タイのバスであちらへこちらへ
1/8 大混雑バンコク


■ラオス旅ブログ全体

ようやく終わりました。おつきあいいただきまして、ありがとうございました。
旅ネタはまた思い出したときにでも出したいと思います。

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2005.01.21

ビアラオにひかれて

0121beer_lao

実はラオスは3度目だった。

最初は2000年の夏、ビエンチャンから陸路で入り、ルアンパバーン、ヴァンヴィエン、ジャール平原(世界で一番危険?なラオス航空に乗って)を回った。
雨期だったのに全く雨が降らず、強烈な日ざしで手足が真っ赤にはれあがった。穏やかな、でもひとがいい国だなあと思ったのが最初。

二度目は2003年の正月。中国雲南省のシーサンパンナから降りてきて、北部の国境を超えてラオス北部を少し見た。乾季なのにほとんど雨だった。
ルアンナムターやムアンシン。ムアンシンで少数民族をたくさんみて、アカ族とヤオ族の村まで歩いて行った。
その後、大雨の中メコン川下りの船が壊れてミャンマー密上陸、ラオス側の電気も車もない小さな川沿いの村で泊まるはめに。船が壊れたときは心底「いままでで一等やべえ」。心の中で「おかーさーん!」と叫んだ。
が、そのときの写真をみると私は異常に「にやにや」して写っている。

そして今回。3回目はまだ行ったことのなかったラオス南部。
ラオスは日本と同じように南北に長いので、南北と全く違った。北の方は少数民族がたくさんいるので顔も雰囲気も全く違う。南にいくほどさらにさらにのんびりしてくるように思う。

でも変わらずどこにでもあるのは、国産ビール、ビアラオ。
とにかくビアラオなんである。
メコン川見ながらビアラオ、シャワー(水)浴びてビアラオ、ご飯だからビアラオ、夕日だからビアラオ、とにかく旅行者はビアラオの虜と化すのは間違いない。(ビール好きなら)

Continue reading "ビアラオにひかれて"

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2005.01.09

旅が終わって。





短い旅から帰ってきました。
現実の旅はいつもあっけなく勝手に終わる。でも気分の中は旅をながいことひきずってしまう。なくならない飴玉をいつまでもなめているような。ぐずぐずしているうちに日常とパラレルに進んでいく。

あけましておめでとうございます。
ここまでくるとあまり実感ないし、なんだか私が言うといつも「嘘臭いなあ」と思う言葉の一つ。

結局、カンボジアビザはとれず、ラオス南部でのんびりする旅を行った。あとでブログに該当日のことを書いていこうと思う。

ラオス南部にいたので津波の情報は断片的にしか入ってこなかった。
タイの現地新聞には生々しい写真がカラーで掲載されていた。日本じゃあださないだろうなあというような(出てたらすいません)。海に遺体がうつ伏せにたくさん浮いている写真だった。一瞬、なにがなんだかわからなかった。これが現実現地なんだと思う。

カオサンのポリス前では外国人旅行者の尋ね人はり紙多数。笑顔の行方不明者の顔写真をみると胸がしめつけられるようだ。家族でバカンスに来ていたのだろうか、子供の顔写真も目立つ。
十字架になっているのは死亡が確認された人だろう。現地で探す家族の手作りらしいはり紙も多くみられた。
0108_missing

■しばらくブログを閉鎖していたのは出る直前にだだだだと「すぱむ君」に襲われたからです。今日から取りあえず、再開。
では今年もよろしくお願いします。

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2005.01.08

大混雑バンコク

さてバンコクまで戻る。
せっかくコラートまできたのだが、ピマーイ遺跡は遠い。まあタイの主だったクメール遺跡巡りはいずれ行出かけるつもり。カンボジア領内のカオプラヴィハーンにも行きたいし。

このまままっすぐバンコクまで帰っても3時ぐらいだろう。マーブンクロンあたりで買い物でもしようと考えた。昨日でこりたので、今日は鉄道。3等の木の座席に座っての移動だ。8時20分発、13時半着。
本を読んだり、メモから前日の日記を付けたりする。日本でも関越道にふと大仏が見えたりして驚くが、そんな感じで車窓から時折大きな大きな仏様が見える。そしたら窓際のおばちゃんたちは手をあわせて拝む。

熟していない青いマンゴーを買って砂糖ととうがらしの粉をつけて食べたりした。
papaya
青いマンゴーは瓜みたいな食感で、かすかな甘味とさわやかな味がする。この国ではこれをよく食べている。微妙な味なのに子供も好きなようで、隣のボックスの3歳ぐらいの男の子がばりばりと熱心に食べていた。
乙な味が分かる子よのお。

バンコク。早速大渋滞。今日はウィークエンドマーケットの日だった。これがある日はこの辺一体の交通はえらいことになってしまう。
休みの日なのでマーブンクロンも大混雑。でかいリュックとお膳を持っての移動は正直面倒だが、まずは蚊対策のクリームと、有名な蚊よけの薬を買った。(日本から持って行くのを忘れて大変だった)
ワールドトレードセンターの伊勢丹スーパーには、みやげを買うために参上。簡単に買い物を済ませてちょっと休憩。ここにはスタバもドーナッツ屋もあるし、広場ではチャンビールのイベント中だ。

夕方5時半だと言うのにまた寺裏はFull。一個だけ窓無しの部屋で170Bを見つけた。どうせ明日は朝4時に出るし、ちと高いが仕方ない。次回はブラスメンのあたりにしようかな。
バンランプーに出かけ、人込みにまみれて買い食いする。
カオサンでは古本ロンプラをチェックしたり、CDを見たり。
最後は気に入っている屋台でグリーンカレーを食べてビールを飲みながらこの1週間を反芻した。
greencurryJPG

楽しかった旅ももうすぐ終わりだ。
こうやって旅の終わりを実感する。

補足:1/17、バンコク地下鉄で事故があったがこの地下鉄の存在を私は全く認知してなかった! バンスーからファランポーンまで続いており、モーチットの下を通っているなんて。これは結構便利だ。モーチットからファランポーンまでダイレクトで行ける。うう、バンスーで降りればよかった。しばし私の無駄足を振り返ってしまった。
(1/22記)

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2005.01.07

もと来た道からラオス出国

1月7日中に再びバスを乗り継いでタイに戻る。
本来ならば、別の国境ポイントから戻るつもりだった。
しかしそのサワナケートは、国境同士を行き来する渡し船の本数が少ないようだった。バンコク発9日朝7時の飛行機には余裕はあるような気もするが、ここは無理せず入国と同じパクセに近い国境から出ることにした。行きのように交通機関で足留めされると困るので(笑)。
ウボンラチャタニーへは昼頃到着のはずで、その後は電車かバスで中間よりすこしバンコク寄りにあるナコンラチャシマー(コラート)まで夜にたどりつけるだろうと目論んでいた。
夜行列車でダイレクトにバンコクに戻るのもアリだが、それじゃあんまりにも芸がなさすぎるではないか。
時間もないのでこの辺に点在する遺跡をみることもできないけれど、車窓からイサーンの街でも見たい。

最後のラオカフェを飲む。もちろん今日はコンデンスミルク入りで。
laocafe
最初は混ぜず、あとで混ぜるのが私の好み。

朝7時半ごろ、人のいいゲストハウスのおっちゃんが目の前を通るバスを呼び止める。1台バスをやり過ごして、2台目に来たのがソンテウではなくて「ちゃんとした窓と屋根のあるバス」だったのでラッキーだった。こういうバスでは避けられない「がんがんに鳴る歌謡曲」がもれなくついてきたけれど。
9時にはパクセ「タラートダオファン」へ。そこで昨晩一緒に話した日本人二人とさようならをする。結果的に同じ方角に行くのだが、お互い旅人。写真とったり、買い物したりしたい。
お互いさらっと別れられる、こういったところが一人旅、気持ちいいところだ。

また国境まで1時間。みたことのあるバスターミナルへ到着。
イミグレーションのほうに歩いて行くと、左右に国境マーケットが広がる。高級酒も売っていれば、CD屋、おみやげ屋、布地屋などいろいろある。ちと胡散臭いけれど。時間はたっぷりあるので、座ってアイスコーヒーを飲み、カオニャオ(餅米)入れと親への土産であるお膳を購入。国境で買い物をすると、値切っていてもなんだか面白くないなと思うのは、店があんまり愛想よくなくて買い物が楽しくないからだろう。まあ、仕方ない。

短いラオス旅だった。イミグレでスタンプを押してもらい、出国する。
タイのイミグレでは、アライバルカードの書式が変わっていた。妙にニコニコしている審査官に「ドモアリガトー」と言われる。
近くのスタンドをみると、ここの冷蔵庫にはもうビアラオはない。シンハーにチャンビール、レオビール。タイのビールが並ぶ。
一本の線を隔てただけだが、ラオスの旅は終わったのだ。(1/15書)

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タイのバスであちらへこちらへ

さてウボンについた。この先どうしようか。ちょうど2時。
鉄道では、ウボン発3時過ぎ、ナコンラチャシマー(以下、通称であるコラート)8時半到着の列車があるのは知っていた。5時間ちょっと。一方、ロンプラのコピーをみると、バスでいっても5、6時間とある。
なんでナコンラチャシマーへいくのか。
夜行列車でダイレクトにバンコクに戻るのもアリだが、それじゃあんまりにも芸がなさすぎるではないか。コラートまで行くのも列車じゃ芸が無い。
それだけの理由で、バスで行ってみることに決めた。
ウボン郊外のバスターミナルから3時発のバスをつかまえた。バスはバンコク行きで途中下車する。乗る前に米麺を食べてほっと一息。軍隊の休暇なのか、若い軍人がたくさんバスを待っていた。

バスは、水色のラインの入った長距離バス。
福福しい丸顔と、細面の華奢な二人の見習い車掌と、丸顔で目がくりっとして冗談ばかり言っているらしいベテラン車掌兼交代ドライバー。見た目は退役軍人っぽいイカツイドライバー。以上が乗組員。どの顔も愛嬌があって楽しい。見ていて楽しいメンツである。
エアコンががんがんに効いた社内。そういえばラオスではエアコンはなかったなあと思う。長そでを羽織り私は悠長に構えていた。そのときは。

18時。とある街のバスターミナルでトイレ休憩。国家が流れみんな直立。

19時。あともう少しのようだが全然、そんな気配がない。大きな街や小さな街に寄ったりしながら通勤通学客を拾っている。車掌が冗談を言ったのか、どっと笑いが起きている。
お腹もすいてきたので、売りにきたビンカイ(焼き鳥)とカオニャオを買ってむしゃむしゃと食べた。ビンカイは美味いね。焼き鳥好きな文化、一致。

20時。そろそろついてもいいのに、全くどこかに着く気配がない。乗客に毛布が配られ、電気が消された。他の人、寝に入っている。あれっ。。。

21時。全くわからない。ここはどこだ。どこにいるのかもわからない。頭の中で「私、コラートっていったよね、トラートじゃなくて」と反芻。(トラートはカンボジア国境に近い海沿いの街。その近くにいくバスも同じターミナルから出ていたので)
でも寝る。まあ、どっかにつくだろう。そう、お坊さまも多々見守ってくれてますからね、このバスは。
0107thaibus
タイの人気お坊さんブロマイドべたべたであります。

22時。到着気配ゼロ。さすがにおかしいんじゃないかと思う。もう7時間だ。給油のため停車。外に出てタバコを買った。滅多に吸わないが、なんだか吸いたくてたまらなくなった。タバコを吸いながらドライバーと3人の車掌に質問。あと1時間ぐらいらしい。
退役軍人風ドライバーは英語が少しわかるので、結婚してんのか、いくつか、ウボンの前にどこいったんだ、などと質問される。若い見習い車掌たちは、英語が書いてある道路標識をさして「あっち、コラート」と教えてくれた。方角は、合ってる。しかし時間かかるなあ。

22時45分。休憩。おいおいもう少しだってのに。でもここはドライブインみたいなので、乗客も降りてご飯をたべたりしている。私も肉団子(キャベツつき)を食べた。
また無闇にタバコがすいたくなり、立て続けに2本吸った。

23時30分。とうとうコラートのとても大きなバスターミナル着。
ついたよ、と合図された。ドライバーと福福しい3人の車掌にバイバイされる。
いい顔だなあ。記念撮影しておけばよかった。
彼等はあと5、6時間かけてバンコクまで行くのだ。別に私も乗って行ってもいいのだが、手足を伸ばして寝たい、水浴びしたい、という理由でコラートで寝る。

コラートはベトナム戦争当時米軍の空軍基地が置かれたところだ。ここからベトナムに出撃したということ。その面影が現在どうなのかは夜なので全くわからないが。
トゥクトゥクでロンプラに出ていた「シリホテル」まで行ってもらう。1泊120B、トイレシャワーファン付き、タオル付き。ぼろっちいけど、天井が高くて広いベッド。古くて安いが、電気だってあるし十分贅沢です。しかも4階だ。なんだか昨日までと全然違う。
タイに帰ってきた、私は所詮文明社会の産物です、と思うのはこういうときだ。

ううむ。私はタイだけで9時間近くもバスにのっていたわけか。朝は7時半に出たわけなので、一日の大半を乗り物で過ごしたということ。さすがに疲れた。水浴びが気持ちいい。
予定通りに進みたいのに進めないのが旅。なんだか今回はタイのバスでいろいろあったな。
くすくす一人で笑いながら、チャンビールを飲んだ。

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帰国して、タイの地図を見た。鉄道はコラートとウボンをまっすぐ結んでいるが、私がメモしていた街の名前や道路の番号をたどると、バスは相当迂回していろんな街を回ったようだった。Roi Etとか。時間かかるはずだわ、これは。三角形の底辺が鉄道だとしたら、私は他の辺を通ってコラートへいったわけです。
確かに、鉄道と同じルートを走るバスなんて必要ないです。(笑)
(1/16)

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2005.01.06

思いがけぬ旅人と再会

ドンデッドを発ち、チャムパサックへ向かう日だ。
朝7時半。船を待つ。コーヒーを飲みながら、同じ船に乗る元気なドイツ在住アメリカ人おばちゃんと今日どこまでいくだとか、話をしているうちに、彼女が突如言った。

「会ったことあるわよね、私たち。・・・そう、タイで去年会わなかった?」

私もどこかで会ったような気がしていたのだ。そう、思い出した。

去年、スコータイの丘の上にある仏像のところで私たちは会って話をしたのだった。お互いに思い出して、何度も手をとりあって大笑い。私は彼女の小柄でエネルギッシュな印象で思い出し、彼女は私の目立つメガネでピンときたのだそうだ。
今度からは年末の予定は彼女とメール交換することにした。メガネ変えないでね、と釘をさされる。うむ、これは約束できんな。
旅をしているとたまにこういうことに出くわす。一度、ラオス北部でカンボジアで会った人と再会した。面白いものだ。
ノラはチャムパサックで泊まったゲストハウスが「人が良くてとてもいいところ」だと紹介してくれた。私もノラのように、年とっても元気に旅してたいなあと思う。

トラックバスはパクセ行き。2時間ほどした途中で降りる。トゥクトゥクに乗り換え、渡し船に乗って対岸のチャムパサックへ向かう。

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世界遺産:ワットプーへ

このチャムパサックから南へ約8キロのところに世界遺産に指定されたヒンドゥーの遺跡 ワットプーがある。

ママチャリを借りて道を進むと、米麺やらライスペーパーを干す庭が連なっている。この辺はこの生産が盛んなようだ。
すれ違う子供達は学校へ行く時間のようだ。大きな大人用の自転車を上手にのりこなして、「サバイディー」とはにかみながら手をふってくる。
ラオスでは、こっちが手を振らなくても向こうから手を振ってくる。こういう光景は最近、出くわしていなかった。自分に対して手を振られているのだとはっと気が付いて慌てて、サバイディー!といいながら私も手を振る。
ワットプーまで、一本道。鋪装はされているが、日影が少ない。汗をかきながら自転車をこぐ。チャリはもちろん。スピードなんか出ない。

クメール族のチェンラがここを征服する前からワットプーの建設は始まったといわれているが、できあがったのはワットプーもアンコールワットと同時期らしい。
遺跡の入り口はなんだか大学の正門みたいなゲートが作られており、そこでお金を払う。横には日本の援助で建てられたここらへんじゃ珍しいコンクリでできた発掘物の展示場所があるが、これはあとで見ることにする。

右手にバライがふたつ。大半は干上がっているが。
それからふたつのバライと平行に南宮殿と北宮殿。半分が崩れかかっているので、外から眺めることしかできないが、相当大きな宮殿だったと思われる。きっとここにもレリーフが入っていたんだろうが。
その先は現在はイタリア政府の協力で修復が進められている石畳だ。なんとものどかな修復風景である。修復するのはこの石畳だけなんだろうか…?。

その先は徐々に石段の階段を登る。結構急な階段になってくる。
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階段の脇にはモクレンのような白い、ジャスミンのような香りのよい花をつけた木が並んでいる。落ちた花をひろって匂いをかぐ。もう花の盛りは過ぎたようだが、春を思わせる香りだった。この花の名はドークチャンパー、英語名ブルメリアというらしい。

登りきったところにようやく本殿が現れた。
0107watpu_honden

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求める風景と、旅とは。(思考)

夜、ゲストハウスのテラスでビアラオとラオラオ(焼酎)をのみながら日本人と話をした。同じゲストハウスにたまたま3人もいたのだ。この旅、初の日本語での旅話ができる。ビールのあとはラオラオを水で割って飲む。福福しいおっちゃんの親戚が作っているものだそうです。

私と、長期旅行者のおっちゃん(年の頃50くらいか)、この地域でシゴトをしている休暇中のお兄さん。
お兄さんは言葉が流暢なので、福福しいオヤジのこの宿情報やら近くの村情報を得ており、さらに地域の情勢に詳しくラオスの国民性など面白い話を多々持っておられたので、いろいろ拝聴した。(っても、ラオラオをストレートでのんでいたので、相当酔っておられたようだが)

おっちゃんが言うには、おっちゃんはがっかりしたそうだ。
「ドンコン(コン島)について、車もあった、電気もあった、バイクも走っていた。すごくがっかりした。何も無いところを期待してきたから」
なるほどねえ。そういう「期待」もあるのか。私は少し考えた。

旅人は旅をするために、消費をする。旅人がいくところ、金が落ちる。
さらに金が稼げると地元の人がおもったなら、旅行者にとっての利便性が少し増す。
たとえば、外国人が好むバンガローを建てるとか(その資金は海外に移住した親類縁者からだろう)、洋式便器を備えるだとか、シャワールームをバケツじゃなくてシャワーノズルをとりつけるだとか。
旅人はちょっとでも快適な方がいいから、それらを歓迎する。
そしてお金が増えると、バイクだって買うし、村には車が入る。
旅人は移動が楽になるのでそれらを歓迎する。
徐々に、旅人は訪れはじめる。ガイドブックに掲載されるまでは1.2年とかからないだろう。インターネットならすぐだ。
何年も前からガイドブックにでているコン島のようなところには、おっちゃんがえがいていたような、原風景みたいなものはないんじゃないのかなあと私は思う。
そういうのを求めるなら、自分で全くガイドブックに出てないような街を、知らないバスにのって行くしかないのではないかな。

お兄ちゃんは、このチャムパサックからワットプーにいく道を左に曲がったところに村があると言っていた。週末には市がひらかれるという。その村からタイラオス国境の街まで陸路で行けるはずだ、という情報をローカルから得ていた。
「でも何があるか知りませんけどね、何にもないはずですが」
とラオラオを飲みながら繰り返し言っていた。

事前の情報のおかげで我々は期待し過ぎるほど期待してしまう。
どんなに期待しても、そこに何があるかは、わからない。
でもそれが究極の旅なのかなとも思う。
私には、そのまねごとしかできないけれど。
(1/16記)

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