February 05, 2005

ラオスの子ども

laos_kids

なにをしていたのかよくわかりませんが、二人で仲良く遊んでいた男の子。
左の子は鼻をたらしていましたが、カメラを向けるとずるずるっとすすりあげてしまいました。

ラオスは子どもがとても多い。おかげで学校は二部制。
でも、その中で女の子のほうが多いんではないか、と後で気が付きました。通学風景みてたら半分以上は女の子なんじゃないかと思う。
さあどうする、ラオス男児!

子供写真はデジカメより一眼レフ(もちろんフィルム)のほうが追いやすいなあと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

January 22, 2005

ラオス旅ブログ終了

Laos旅ブログ、後追いでの記入でしたが、ようやく終了しました。
今日アップしたのは1月6日〜1月8日分。

1/6 世界遺産:ワットプーへ

1/6 求める風景と、旅とは。(思考)

1/7 もと来た道からラオス出国

1/7 タイのバスであちらへこちらへ
1/8 大混雑バンコク


■ラオス旅ブログ全体

ようやく終わりました。おつきあいいただきまして、ありがとうございました。
旅ネタはまた思い出したときにでも出したいと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

January 21, 2005

ビアラオにひかれて

0121beer_lao

実はラオスは3度目だった。

最初は2000年の夏、ビエンチャンから陸路で入り、ルアンパバーン、ヴァンヴィエン、ジャール平原(世界で一番危険?なラオス航空に乗って)を回った。
雨期だったのに全く雨が降らず、強烈な日ざしで手足が真っ赤にはれあがった。穏やかな、でもひとがいい国だなあと思ったのが最初。

二度目は2003年の正月。中国雲南省のシーサンパンナから降りてきて、北部の国境を超えてラオス北部を少し見た。乾季なのにほとんど雨だった。
ルアンナムターやムアンシン。ムアンシンで少数民族をたくさんみて、アカ族とヤオ族の村まで歩いて行った。
その後、大雨の中メコン川下りの船が壊れてミャンマー密上陸、ラオス側の電気も車もない小さな川沿いの村で泊まるはめに。船が壊れたときは心底「いままでで一等やべえ」。心の中で「おかーさーん!」と叫んだ。
が、そのときの写真をみると私は異常に「にやにや」して写っている。

そして今回。3回目はまだ行ったことのなかったラオス南部。
ラオスは日本と同じように南北に長いので、南北と全く違った。北の方は少数民族がたくさんいるので顔も雰囲気も全く違う。南にいくほどさらにさらにのんびりしてくるように思う。

でも変わらずどこにでもあるのは、国産ビール、ビアラオ。
とにかくビアラオなんである。
メコン川見ながらビアラオ、シャワー(水)浴びてビアラオ、ご飯だからビアラオ、夕日だからビアラオ、とにかく旅行者はビアラオの虜と化すのは間違いない。(ビール好きなら)

とにかくラオスってったらビアラオ。南国の風土にあう、さわやかなビールで非常においしい。
私は最初の旅行でビアラオにやられ、缶ビールを買って帰った。そのとき付き合っていたひとにも、もちろんあげた。多分、喜んでたと思う。

2度目の旅行のときには、ビアラオグッズに執着した。あちこちで雨傘やらの幟やらグラスやらティッシュボックスやらをみつけては「売ってくれ」と言ったが、ラオス人は「だめ」と言って断った。うーん、どこで売っているのだろう。
知っていたら、だれか教えて。

beerlao_noren

ビアラオラベルもTシャツになっていて有名であるが、それ以上にビアラオキャップのデザインは秀逸だと、私は思うのだ。

そう。二度目の旅行のとき、フランス人のめっちゃかわいい女性と「ビアラオはラベルデザインもいいけれど、キャップデザインのほうが絶対いい!」という点で意見が一致し、意気投合してビアラオを飲んだ。
その彼女はビエンチャンで「ビアラオキャップの絵の書いたTシャツ」を購入しており、私も買うぞ〜!と思ったが北部にはそんな気のきいたみやげはなく、そして今回の南部でもなかった。
まあまたいずれ。・・・というわけでまたラオスには出かけなければならないな。

旅日記はあとちょっと。次は遺跡のことを書くのだけど、ちゃんと回廊の名前とか正しくしておかないといけませんので(笑)、図書館で地球の歩き方をみてからにします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

January 09, 2005

旅が終わって。

短い旅から帰ってきました。
現実の旅はいつもあっけなく勝手に終わる。でも気分の中は旅をながいことひきずってしまう。なくならない飴玉をいつまでもなめているような。ぐずぐずしているうちに日常とパラレルに進んでいく。

あけましておめでとうございます。
ここまでくるとあまり実感ないし、なんだか私が言うといつも「嘘臭いなあ」と思う言葉の一つ。

結局、カンボジアビザはとれず、ラオス南部でのんびりする旅を行った。あとでブログに該当日のことを書いていこうと思う。

ラオス南部にいたので津波の情報は断片的にしか入ってこなかった。
タイの現地新聞には生々しい写真がカラーで掲載されていた。日本じゃあださないだろうなあというような(出てたらすいません)。海に遺体がうつ伏せにたくさん浮いている写真だった。一瞬、なにがなんだかわからなかった。これが現実現地なんだと思う。

カオサンのポリス前では外国人旅行者の尋ね人はり紙多数。笑顔の行方不明者の顔写真をみると胸がしめつけられるようだ。家族でバカンスに来ていたのだろうか、子供の顔写真も目立つ。
十字架になっているのは死亡が確認された人だろう。現地で探す家族の手作りらしいはり紙も多くみられた。
0108_missing

■しばらくブログを閉鎖していたのは出る直前にだだだだと「すぱむ君」に襲われたからです。今日から取りあえず、再開。
では今年もよろしくお願いします。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

January 08, 2005

大混雑バンコク

さてバンコクまで戻る。
せっかくコラートまできたのだが、ピマーイ遺跡は遠い。まあタイの主だったクメール遺跡巡りはいずれ行出かけるつもり。カンボジア領内のカオプラヴィハーンにも行きたいし。

このまままっすぐバンコクまで帰っても3時ぐらいだろう。マーブンクロンあたりで買い物でもしようと考えた。昨日でこりたので、今日は鉄道。3等の木の座席に座っての移動だ。8時20分発、13時半着。
本を読んだり、メモから前日の日記を付けたりする。日本でも関越道にふと大仏が見えたりして驚くが、そんな感じで車窓から時折大きな大きな仏様が見える。そしたら窓際のおばちゃんたちは手をあわせて拝む。

熟していない青いマンゴーを買って砂糖ととうがらしの粉をつけて食べたりした。
papaya
青いマンゴーは瓜みたいな食感で、かすかな甘味とさわやかな味がする。この国ではこれをよく食べている。微妙な味なのに子供も好きなようで、隣のボックスの3歳ぐらいの男の子がばりばりと熱心に食べていた。
乙な味が分かる子よのお。

バンコク。早速大渋滞。今日はウィークエンドマーケットの日だった。これがある日はこの辺一体の交通はえらいことになってしまう。
休みの日なのでマーブンクロンも大混雑。でかいリュックとお膳を持っての移動は正直面倒だが、まずは蚊対策のクリームと、有名な蚊よけの薬を買った。(日本から持って行くのを忘れて大変だった)
ワールドトレードセンターの伊勢丹スーパーには、みやげを買うために参上。簡単に買い物を済ませてちょっと休憩。ここにはスタバもドーナッツ屋もあるし、広場ではチャンビールのイベント中だ。

夕方5時半だと言うのにまた寺裏はFull。一個だけ窓無しの部屋で170Bを見つけた。どうせ明日は朝4時に出るし、ちと高いが仕方ない。次回はブラスメンのあたりにしようかな。
バンランプーに出かけ、人込みにまみれて買い食いする。
カオサンでは古本ロンプラをチェックしたり、CDを見たり。
最後は気に入っている屋台でグリーンカレーを食べてビールを飲みながらこの1週間を反芻した。
greencurryJPG

楽しかった旅ももうすぐ終わりだ。
こうやって旅の終わりを実感する。

補足:1/17、バンコク地下鉄で事故があったがこの地下鉄の存在を私は全く認知してなかった! バンスーからファランポーンまで続いており、モーチットの下を通っているなんて。これは結構便利だ。モーチットからファランポーンまでダイレクトで行ける。うう、バンスーで降りればよかった。しばし私の無駄足を振り返ってしまった。
(1/22記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 07, 2005

もと来た道からラオス出国

1月7日中に再びバスを乗り継いでタイに戻る。
本来ならば、別の国境ポイントから戻るつもりだった。
しかしそのサワナケートは、国境同士を行き来する渡し船の本数が少ないようだった。バンコク発9日朝7時の飛行機には余裕はあるような気もするが、ここは無理せず入国と同じパクセに近い国境から出ることにした。行きのように交通機関で足留めされると困るので(笑)。
ウボンラチャタニーへは昼頃到着のはずで、その後は電車かバスで中間よりすこしバンコク寄りにあるナコンラチャシマー(コラート)まで夜にたどりつけるだろうと目論んでいた。
夜行列車でダイレクトにバンコクに戻るのもアリだが、それじゃあんまりにも芸がなさすぎるではないか。
時間もないのでこの辺に点在する遺跡をみることもできないけれど、車窓からイサーンの街でも見たい。

最後のラオカフェを飲む。もちろん今日はコンデンスミルク入りで。
laocafe
最初は混ぜず、あとで混ぜるのが私の好み。

朝7時半ごろ、人のいいゲストハウスのおっちゃんが目の前を通るバスを呼び止める。1台バスをやり過ごして、2台目に来たのがソンテウではなくて「ちゃんとした窓と屋根のあるバス」だったのでラッキーだった。こういうバスでは避けられない「がんがんに鳴る歌謡曲」がもれなくついてきたけれど。
9時にはパクセ「タラートダオファン」へ。そこで昨晩一緒に話した日本人二人とさようならをする。結果的に同じ方角に行くのだが、お互い旅人。写真とったり、買い物したりしたい。
お互いさらっと別れられる、こういったところが一人旅、気持ちいいところだ。

また国境まで1時間。みたことのあるバスターミナルへ到着。
イミグレーションのほうに歩いて行くと、左右に国境マーケットが広がる。高級酒も売っていれば、CD屋、おみやげ屋、布地屋などいろいろある。ちと胡散臭いけれど。時間はたっぷりあるので、座ってアイスコーヒーを飲み、カオニャオ(餅米)入れと親への土産であるお膳を購入。国境で買い物をすると、値切っていてもなんだか面白くないなと思うのは、店があんまり愛想よくなくて買い物が楽しくないからだろう。まあ、仕方ない。

短いラオス旅だった。イミグレでスタンプを押してもらい、出国する。
タイのイミグレでは、アライバルカードの書式が変わっていた。妙にニコニコしている審査官に「ドモアリガトー」と言われる。
近くのスタンドをみると、ここの冷蔵庫にはもうビアラオはない。シンハーにチャンビール、レオビール。タイのビールが並ぶ。
一本の線を隔てただけだが、ラオスの旅は終わったのだ。(1/15書)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タイのバスであちらへこちらへ

さてウボンについた。この先どうしようか。ちょうど2時。
鉄道では、ウボン発3時過ぎ、ナコンラチャシマー(以下、通称であるコラート)8時半到着の列車があるのは知っていた。5時間ちょっと。一方、ロンプラのコピーをみると、バスでいっても5、6時間とある。
なんでナコンラチャシマーへいくのか。
夜行列車でダイレクトにバンコクに戻るのもアリだが、それじゃあんまりにも芸がなさすぎるではないか。コラートまで行くのも列車じゃ芸が無い。
それだけの理由で、バスで行ってみることに決めた。
ウボン郊外のバスターミナルから3時発のバスをつかまえた。バスはバンコク行きで途中下車する。乗る前に米麺を食べてほっと一息。軍隊の休暇なのか、若い軍人がたくさんバスを待っていた。

バスは、水色のラインの入った長距離バス。
福福しい丸顔と、細面の華奢な二人の見習い車掌と、丸顔で目がくりっとして冗談ばかり言っているらしいベテラン車掌兼交代ドライバー。見た目は退役軍人っぽいイカツイドライバー。以上が乗組員。どの顔も愛嬌があって楽しい。見ていて楽しいメンツである。
エアコンががんがんに効いた社内。そういえばラオスではエアコンはなかったなあと思う。長そでを羽織り私は悠長に構えていた。そのときは。

18時。とある街のバスターミナルでトイレ休憩。国家が流れみんな直立。

19時。あともう少しのようだが全然、そんな気配がない。大きな街や小さな街に寄ったりしながら通勤通学客を拾っている。車掌が冗談を言ったのか、どっと笑いが起きている。
お腹もすいてきたので、売りにきたビンカイ(焼き鳥)とカオニャオを買ってむしゃむしゃと食べた。ビンカイは美味いね。焼き鳥好きな文化、一致。

20時。そろそろついてもいいのに、全くどこかに着く気配がない。乗客に毛布が配られ、電気が消された。他の人、寝に入っている。あれっ。。。

21時。全くわからない。ここはどこだ。どこにいるのかもわからない。頭の中で「私、コラートっていったよね、トラートじゃなくて」と反芻。(トラートはカンボジア国境に近い海沿いの街。その近くにいくバスも同じターミナルから出ていたので)
でも寝る。まあ、どっかにつくだろう。そう、お坊さまも多々見守ってくれてますからね、このバスは。
0107thaibus
タイの人気お坊さんブロマイドべたべたであります。

22時。到着気配ゼロ。さすがにおかしいんじゃないかと思う。もう7時間だ。給油のため停車。外に出てタバコを買った。滅多に吸わないが、なんだか吸いたくてたまらなくなった。タバコを吸いながらドライバーと3人の車掌に質問。あと1時間ぐらいらしい。
退役軍人風ドライバーは英語が少しわかるので、結婚してんのか、いくつか、ウボンの前にどこいったんだ、などと質問される。若い見習い車掌たちは、英語が書いてある道路標識をさして「あっち、コラート」と教えてくれた。方角は、合ってる。しかし時間かかるなあ。

22時45分。休憩。おいおいもう少しだってのに。でもここはドライブインみたいなので、乗客も降りてご飯をたべたりしている。私も肉団子(キャベツつき)を食べた。
また無闇にタバコがすいたくなり、立て続けに2本吸った。

23時30分。とうとうコラートのとても大きなバスターミナル着。
ついたよ、と合図された。ドライバーと福福しい3人の車掌にバイバイされる。
いい顔だなあ。記念撮影しておけばよかった。
彼等はあと5、6時間かけてバンコクまで行くのだ。別に私も乗って行ってもいいのだが、手足を伸ばして寝たい、水浴びしたい、という理由でコラートで寝る。

コラートはベトナム戦争当時米軍の空軍基地が置かれたところだ。ここからベトナムに出撃したということ。その面影が現在どうなのかは夜なので全くわからないが。
トゥクトゥクでロンプラに出ていた「シリホテル」まで行ってもらう。1泊120B、トイレシャワーファン付き、タオル付き。ぼろっちいけど、天井が高くて広いベッド。古くて安いが、電気だってあるし十分贅沢です。しかも4階だ。なんだか昨日までと全然違う。
タイに帰ってきた、私は所詮文明社会の産物です、と思うのはこういうときだ。

ううむ。私はタイだけで9時間近くもバスにのっていたわけか。朝は7時半に出たわけなので、一日の大半を乗り物で過ごしたということ。さすがに疲れた。水浴びが気持ちいい。
予定通りに進みたいのに進めないのが旅。なんだか今回はタイのバスでいろいろあったな。
くすくす一人で笑いながら、チャンビールを飲んだ。

--------
帰国して、タイの地図を見た。鉄道はコラートとウボンをまっすぐ結んでいるが、私がメモしていた街の名前や道路の番号をたどると、バスは相当迂回していろんな街を回ったようだった。Roi Etとか。時間かかるはずだわ、これは。三角形の底辺が鉄道だとしたら、私は他の辺を通ってコラートへいったわけです。
確かに、鉄道と同じルートを走るバスなんて必要ないです。(笑)
(1/16)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 06, 2005

思いがけぬ旅人と再会

ドンデッドを発ち、チャムパサックへ向かう日だ。
朝7時半。船を待つ。コーヒーを飲みながら、同じ船に乗る元気なドイツ在住アメリカ人おばちゃんと今日どこまでいくだとか、話をしているうちに、彼女が突如言った。

「会ったことあるわよね、私たち。・・・そう、タイで去年会わなかった?」

私もどこかで会ったような気がしていたのだ。そう、思い出した。

去年、スコータイの丘の上にある仏像のところで私たちは会って話をしたのだった。お互いに思い出して、何度も手をとりあって大笑い。私は彼女の小柄でエネルギッシュな印象で思い出し、彼女は私の目立つメガネでピンときたのだそうだ。
今度からは年末の予定は彼女とメール交換することにした。メガネ変えないでね、と釘をさされる。うむ、これは約束できんな。
旅をしているとたまにこういうことに出くわす。一度、ラオス北部でカンボジアで会った人と再会した。面白いものだ。
ノラはチャムパサックで泊まったゲストハウスが「人が良くてとてもいいところ」だと紹介してくれた。私もノラのように、年とっても元気に旅してたいなあと思う。

トラックバスはパクセ行き。2時間ほどした途中で降りる。トゥクトゥクに乗り換え、渡し船に乗って対岸のチャムパサックへ向かう。


ここの船着き場は大きく、バスがそのまま乗れる大きな渡し船がある。船を二艘くっつけてそのまま乗り上げるのだ。船着き場が大きいといっても、メコンの岸辺に船が並んでいるにすぎない。(コンクリの桟橋などはどこにもない)
対岸へつくと、ノラが教えてくれたゲストハウスのおっちゃんが客引きにきていた。Vong paseud guest house. トゥクで迎えにきているし移動も楽だ。なんとも人がいい笑顔の福福しいおっちゃんである。ニコニコっぷりにこっちも楽しくなってくる。客が紹介したくなるのもわかる、気持のいいゲストハウスだ。値段も周囲に比べてかなり安い15000キープ。そしてバスルーム付き。

ゲストハウスの食堂でこの旅初めて日本人と遭遇した。私と同じリーマンバックパッカー。これからパクセに向かう人で、昼ご飯を食べながらいろいろ情報交換。彼の持っていた「地球の歩き方ラオス版」がたいそう詳しく、驚いた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

世界遺産:ワットプーへ

このチャムパサックから南へ約8キロのところに世界遺産に指定されたヒンドゥーの遺跡 ワットプーがある。

ママチャリを借りて道を進むと、米麺やらライスペーパーを干す庭が連なっている。この辺はこの生産が盛んなようだ。
すれ違う子供達は学校へ行く時間のようだ。大きな大人用の自転車を上手にのりこなして、「サバイディー」とはにかみながら手をふってくる。
ラオスでは、こっちが手を振らなくても向こうから手を振ってくる。こういう光景は最近、出くわしていなかった。自分に対して手を振られているのだとはっと気が付いて慌てて、サバイディー!といいながら私も手を振る。
ワットプーまで、一本道。鋪装はされているが、日影が少ない。汗をかきながら自転車をこぐ。チャリはもちろん。スピードなんか出ない。

クメール族のチェンラがここを征服する前からワットプーの建設は始まったといわれているが、できあがったのはワットプーもアンコールワットと同時期らしい。
遺跡の入り口はなんだか大学の正門みたいなゲートが作られており、そこでお金を払う。横には日本の援助で建てられたここらへんじゃ珍しいコンクリでできた発掘物の展示場所があるが、これはあとで見ることにする。

右手にバライがふたつ。大半は干上がっているが。
それからふたつのバライと平行に南宮殿と北宮殿。半分が崩れかかっているので、外から眺めることしかできないが、相当大きな宮殿だったと思われる。きっとここにもレリーフが入っていたんだろうが。
その先は現在はイタリア政府の協力で修復が進められている石畳だ。なんとものどかな修復風景である。修復するのはこの石畳だけなんだろうか…?。

その先は徐々に石段の階段を登る。結構急な階段になってくる。
0107watpu_steps
階段の脇にはモクレンのような白い、ジャスミンのような香りのよい花をつけた木が並んでいる。落ちた花をひろって匂いをかぐ。もう花の盛りは過ぎたようだが、春を思わせる香りだった。この花の名はドークチャンパー、英語名ブルメリアというらしい。

登りきったところにようやく本殿が現れた。
0107watpu_honden

物売りの女の子たちはお供えの花を売っている。ラオス人らしい観光客はそこでもう靴を脱いで本殿に入って行った。
本殿前からの眺めは最高だ。広いメコンの大地が広がり、昔も今も変わらないだろう風景。ぼーんやりかすんだように見えて気持ちがいい。
0107watpu_view

本殿も奥の方は崩れかかり、中は青天井になっているところもあるが、手前のデバター(女神)などのレリーフはしっかり残っていた。入り口の上にも彫り深く残っている。
0107watpu1

0107watpu2

中には、あとで宗教が変わったときに据え付けられた仏像が鎮座しているのだが、なんともこのお顔が一言で言うなら「ファニーフェース」。こんなお顔はみたことがないが、思わず楽しくなってしまった。
0107watpu_butsu

裏にもいくつか石像がある。水が出てくる岩もある。山の裏手も岩でできている。巨大な岩、車が4、5台分ぐらいの岩が転がっている。
この山は岩山なのか。憶測でしかないけど、この本殿までの道を作った石はこの山のものかもしれない。(本殿は石質が違うと思われる)
何度も本殿を見て、それからまた眺めを楽しんで、を繰り返した。
ついつい、既にアンコールワットや、バガン(ミャンマー)など有名な巨大遺跡をみてしまっていると、どうしてもあの強烈なイメージが焼き付いてしまって苦労する。
ここは確かに残っているものも損傷が激しく、規模は小さい。世界遺産クラスでいえばB級だと思う(失礼)。
しかし、このワットプーの静かに山の中にたたずんでいるさまも、本殿からの眺めもすばらしい。そして人が少なくて、静かに楽しめるのもよい。

ようやく山から降り、入り口にあった展示場所に寄ってみた。(撮影禁止)
思いのほか、展示数は多く興味深かった。掘り出された仏像やヒンズーの神様、デバターがたくさんある。元は本殿にあったはずのリンガもある。
それほど大きくないが、コブラの光背をつけた仏像が非常にカッコ良くしばしみとれた。ポストカードあれば欲しいくらいだった。
これは去年タイのシーサッチャナーライで見た小さな仏像のコブラの光背とデザインが似ていた。宗教が変わるころの融合の結果なのかなあと思う。
(家に帰って調べました。タイのワット・プラシーラタナ・マハタートで。これは数行ではあるが『見仏記3』にもいとうせいこう氏が記述してる!)

個人的には自然もすきだが、遺跡を見る方がより好きだ。今日は今回の旅で一番自分の旅らしいなあと思った。
来た道をもどると、行きに学校へ向かっていた子供が下校する時刻だった。(1/22記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

求める風景と、旅とは。(思考)

夜、ゲストハウスのテラスでビアラオとラオラオ(焼酎)をのみながら日本人と話をした。同じゲストハウスにたまたま3人もいたのだ。この旅、初の日本語での旅話ができる。ビールのあとはラオラオを水で割って飲む。福福しいおっちゃんの親戚が作っているものだそうです。

私と、長期旅行者のおっちゃん(年の頃50くらいか)、この地域でシゴトをしている休暇中のお兄さん。
お兄さんは言葉が流暢なので、福福しいオヤジのこの宿情報やら近くの村情報を得ており、さらに地域の情勢に詳しくラオスの国民性など面白い話を多々持っておられたので、いろいろ拝聴した。(っても、ラオラオをストレートでのんでいたので、相当酔っておられたようだが)

おっちゃんが言うには、おっちゃんはがっかりしたそうだ。
「ドンコン(コン島)について、車もあった、電気もあった、バイクも走っていた。すごくがっかりした。何も無いところを期待してきたから」
なるほどねえ。そういう「期待」もあるのか。私は少し考えた。

旅人は旅をするために、消費をする。旅人がいくところ、金が落ちる。
さらに金が稼げると地元の人がおもったなら、旅行者にとっての利便性が少し増す。
たとえば、外国人が好むバンガローを建てるとか(その資金は海外に移住した親類縁者からだろう)、洋式便器を備えるだとか、シャワールームをバケツじゃなくてシャワーノズルをとりつけるだとか。
旅人はちょっとでも快適な方がいいから、それらを歓迎する。
そしてお金が増えると、バイクだって買うし、村には車が入る。
旅人は移動が楽になるのでそれらを歓迎する。
徐々に、旅人は訪れはじめる。ガイドブックに掲載されるまでは1.2年とかからないだろう。インターネットならすぐだ。
何年も前からガイドブックにでているコン島のようなところには、おっちゃんがえがいていたような、原風景みたいなものはないんじゃないのかなあと私は思う。
そういうのを求めるなら、自分で全くガイドブックに出てないような街を、知らないバスにのって行くしかないのではないかな。

お兄ちゃんは、このチャムパサックからワットプーにいく道を左に曲がったところに村があると言っていた。週末には市がひらかれるという。その村からタイラオス国境の街まで陸路で行けるはずだ、という情報をローカルから得ていた。
「でも何があるか知りませんけどね、何にもないはずですが」
とラオラオを飲みながら繰り返し言っていた。

事前の情報のおかげで我々は期待し過ぎるほど期待してしまう。
どんなに期待しても、そこに何があるかは、わからない。
でもそれが究極の旅なのかなとも思う。
私には、そのまねごとしかできないけれど。
(1/16記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 05, 2005

ドンデッド最後の怠惰な一日

最後は怠惰な日、lazy day を過ごす予定。朝っぱらからハンモックに揺られ本を読んだり、何も考えず外を眺めて過ごす。
最近、旅で「こういうこと」ができるようになった。
自分にとって快適な場所を見つけて何も考えずリラックスするのだ。暖かいところが多い。
前は最初から最後までがつがつと必死に動き回っていた。単に横着になっているだけなのかもしれないとはいえ、このリラックスできる時間は日本でのリラックスよりも数倍気分は軽い。

昼、洗濯。終わってから昼食のサンドイッチを食べにぶらぶらと集落を歩く。
スイカジュースを飲む。スイカジュースは、絶対におすすめだ。日本にいるときはあまりスイカは食べないのだが、スイカジュースは大好物だ。水分が多くてジュースには最適。
いままで飲んだ中で最高だったのは、タイで飲んだスイカジュース。黒タピオカが入って見た目も美しい、そして味も絶品だった。
それはこれ↓ ロッブリー(猿の街)の線路横のジュース屋台でした。
2004thai_suica

夕方、最後の夕日を眺める。一部分ではあったが、きれいに赤く染まった。
私は明日北上し、チャムパサックという街までいく。
マイクとイサイはお互い交換して読んでいる本が(ジョージオーエルと何か)あと少し残っているので、明日まで滞在して後は別行動するということだった。マイクはパクセへ行きもう少しラオスに、イサイは私が通った国境でタイへ抜けてタイ北部か、コチャーンの方面どちらかへ行くことに決めていた。
せっかく仲良くなったし最後の食事。
夕日を見る前に3人はレストランで「バナナの葉に魚を包んで蒸したもの」を頼んでおいた。これは「2時間前に注文せよ」と注意書きがメニューにあり、前日から気になっていた。気になるね、食べたいという話をしていたのだ。
写真をとってなくて残念なのだが、それは白身魚をほぐしたものをパクチーやレモングラスと混ぜてバナナの葉に包んで蒸した食べもの。香草の香りがとても白身の魚によくあい、またほぐしてあるので食べやすい。ビールと良く合う。つまみとしてもいい。

ビアラオを飲みながらおしゃべりする。数日一緒にいたので、結構いろんなことを話した。
といっても私は聞き中心。途中で分からなければ分かりやすい英語で噛み砕いて説明してもらい、スローモーに話に割り込む。それをお互いにストレスに思う感じがあまりなく、私には楽チンな旅での仲間だった。
数日間、楽しく過ごせたことにお礼をいい、二人とお別れをした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 04, 2005

チャリンコで隣の島まで(1)

ゆっくり起きて、またラオカフェとフランスパンを食べる。
チャリを借り、今日は隣の島ドンコンにある滝なんかを見に行くことにした。ドンコンへはフランス軍がかつて鉄道を敷設した跡の橋でつながっている。
いま泊まっているドンデッドは小さな島で電気は自家発電のみ、車は走っていない。もちろん道は土であり、農道に近い。そんな道をチャリでがたがたと走っていると、子供達が「サバイディー!(こんにちは)」」と手を振ってくる。
途中、稲の脱穀をしている農家を眺めていたら「やってみろ」と子供にさそわれて脱穀させてもらった。千枚歯とかいう農具があったよなあと思い出した。
dakkoku

ゲストハウスのバンガローは島の奥まで続いており、長期滞在している旅行者が多数見受けられた。本当になにもないので、のんびりゆっくりリゾート気分でいるなら楽しいだろう。

かつての鉄道橋を渡ってドンコン(コン島)へ。こっちは車が走っているが、道路は舗装されているわけではなくドンデッドをちょっと大きくしたようなところだ。電気はあるようだ。
滝まで一本道。稲刈りのすんだ乾季のからからの道を進んで行く。
滝は昨日のほうがずーっと大きく見事であったが、ここは高さがある。迫力があった。

0104train
フランス軍はメコンを使って物資輸送を計画したらしいが、こういった島や滝に悩まされ鉄道を敷設したわけだ。だから、断念した残骸の路線や鉄道がぽつーんと残されていたりする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャリンコで隣の島まで(2)

チャリで道が続くところまで行ってみた。
この国は子供がやたら多く、学校は二部制で授業をやっている。午後の授業が始まるところだったようで、子供達が学校へ向かっていた。濃紺や濃緑のシン(巻きスカート)をはいて白いシャツ。この国の学生の制服だ。
donkon_road

喉が渇いたところで、昨日一緒にいたオランダ人のファニーとまた会う。二人でフルーツシェイク(レモン、バナナ、ハニー)を飲みながらだらだらと疲れを癒す。ファニーは明日カンボジアに行くつもりなので、ロンプラで予習。私は川を眺めて写真をとる。
ファニーは同じく女の人の一人旅。カンボジア、不安だけど楽しみ、わくわくする、と言う。まったくそのとおり。私もそう思う。ラオスからカンボジアならなおさらだ。だいたいこの国境は半分くらいの正式度。わくわくするじゃないか。
そして、超えたあの向こうはどんなところなんだろうかと。私は一度行ったことのある国だが、見たことのない地域である。私も近いうちにこのルートを辿ってカンボジアに抜けてみたいなと思う。きっとそのときにはもっと普通なルートになっているだろうが、やはり自分で行ってみたい。

バンガローに戻り、サロンの洗濯ついでに泥水メコンに入って少し泳ぐ。水シャワーも昼間あびると気持ちいい。洗濯もたらいを借りてメコン川で。どうせ蛇口から出てくる水もメコンを汲み上げたものなのだ。

まだ日も高いがビアラオで喉を潤す。はっきりいってビアラオを飲んでばかりだが、ビアラオは本当にうまいのだ。なんでこんなにうまいのか、なんでビールだけこんな企業がラオスにあるのか。いつも不思議だ。

また飽きもせず夕日をテラスから眺め、また4人でご飯とビール。だいたい年の頃も同じなので話も気も波長も合うということ(笑)。
larp_dinner
私は好物のラープを食べる。ラオス風ピリ辛ひき肉サラダといった、さわやかな料理。ただ、この日のは青とうがらしが多すぎて結構辛かった。お米は、カオニャオ=餅米を食べるのがラオス風。左上に見えるのが、そのカオニャオのお茶碗というべきカゴだ。
明日早朝にカンボジアに発つファニーとお別れした。良い旅を。お互いに。
私はラオラオ(強烈などぶろく。ラオス焼酎)を水でうすく割って飲みながらまたハンモックで読書。ろうそくの明かりで惚けながら。ああなんて贅沢。

| | コメント (0)

January 03, 2005

ドンデッド(デッド島)で

バンガローは川の上にせりだして建っているので、下の方でアヒルが鳴く声で目が覚めた。
だいたい電気がないので人は早く寝るし、そしたら早起き。それがラオス。

ラオコーヒーを飲みながら、パンをかじる。ラオスに来たなあと思う。うまい。
いまの場所は川面が見えて悪くないのだが、木が上にあってちょっと日当たりが悪い。
しばらく集落を歩くと、船着き場の向こうに西日が見える位置に日当たりのいいバンガローをみつけた。同じ値段で1つ空いているという。こっちは川にせりだしているわけでもなく、広い庭のなかにぽつんぽつんと建っており、そののどかさが気に入って、こっちに移ることにした。

午前早々からバンガローのテラスでハンモックに揺られて、昨日の疲れを癒す。
なんにも考えずぼーっとする。ちょっと本を読む。
となりのバンガローも午前中からパンツ一丁でハンモックで読書中。

午後。イングランド人とトラックをシェアして、メコン川の滝waterfallを見に行く。
メコン川はどこの場所でもたゆたう大河ではない。ラオス北部でも岩でごつごつしているところがあったり、場所によって表情は異なる。そしてこのシーパンドン=4千の島といわれるラオスの南部では川幅を広げ、中州に多くの島々を作ってまるで海のようになっている。その中州の中には、メコン川が滝になっている場所もある。ここはその中でも最大規模のものだ。
0103waterfall
このような滝の存在がかつての領主国フランスの開発をさまたげた。

東南アジア最大の瀑布群といわれるだけあって、その迫力はすごい。幅は1キロに渡り、これが川か?といわれても信じられない。
展望台なんかあって観光名所ではあるが、地元の人はそんな滝の脇の流れのゆるいところですいすいと魚の仕掛けを行い、水浴びをしていたりする。しばらく滝のそばにたたずみ、これまで見てきた(数少ないが)メコンを思い出したりしてぼんやりする。滝に流れる水に虹がかかっている。

その彼は、タドローという滝もパクセ近郊で見てきたという。すばらしかった、という。時折思うが、東洋人の比じゃなく、西洋人はとにかく滝が好きだ。なんか血がさわぐのか。(と私は推測している)

夕方戻ると昨日となりのバンガローにいた二人組(マイクとイサイ。ここ数日一緒に旅をしているだけで元は個人旅行者)が移ってきており、庭のマットレスに横になり読書をしてくつろいでいた。もう一人、オランダ人のファニーという元気で楽しい女性も加わり、4人で思い思いの場所に座り、黙って夕日がメコンに落ちるのを眺めた。夕日に染まるメコンに渡し船が行き来する。
0103sunset

4人でご飯とビアラオ。楽しい時間。
発電機は10時でストップ。静寂。つぶつぶの星が一面にひろがっている。

星空の下で私は威張って歯を磨いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 02, 2005

長い長い移動の末、ラオス国境を超え…

<この日は写真なし・・・>

夜行列車は非常に寒かった。すきま風でブルブル震えた。
7:55ウボンラチャタニー着。駅で教えてもらったとおり、#2のトラックバスでワリン広場へ。ちょうど発車するところだった次の目的地「ピブンマンハサーン」行きのトラックバスに乗り込む。二人の西洋人バックパッカーといっしょになった。彼等も同じ夜行に乗っていたようで寒かった寒かったと口々に言い合った。地元の人も寒いのでみんなジャケットを着込んでいる。
1時間ほどして、9:20到着。また乗り換える。こんどは国境のある「チョーンメック」行きだ。これもトラックバス。途中検問所が多々あり、その都度みんなはIDカード、旅行者はパスポートチェックをされる。やはり陸路の国境地帯。剣呑なところだ。

11:00すぎ、到着。
国境の周辺にあるマーケットは雑然として、なんだかカンボジア国境のアランヤプラテートを彷佛とさせるような殺伐とした印象。ここはアランヤプラテートほど「恐いなあ」という感じはないのだが。
ただ他のメコン川で隔てられたタイ-ラオス国境は2か所通ったが、ここチョンメーックはちょっと違う。やはり陸路国境なので、それなりの問題は抱えているに違いない。(あとで聞いたところによると、この国境の取締が一番厳しいらしい)

ラオスのイミグレーションでビザ取得。今年になって15人目らしい。無事入国。両替をしたら、20000キープ札がの新札来た。2年前はなかったお札だ。レートは1US$=ほぼ10000キープ、インフレが進行している。
少し待たされたりバスの人数が集まるのを待っていたので、パクセ行きのトラックバスが発車したのは12時半だった。一番最寄りの都会、パクセまでは1時間だ。

さて、ここまで順調。この先どうするかだ。私は行けるなら南部の目的地ドンデッド(ドンは島の意味)の対岸のバンナカサンまで行きたいが、もう午後。
ラオスのバスは本当に早朝にしか出ないので、とりあえずターミナルで聞いてみようと思った。だめだったら、1〜2時間のところにあるチャムパサックというところなら、バスでもあろうかと。・・・

国境からのバスはパクセのタラート・ダオファン(ダオファン市場)に到着。
私と同じ列車に乗ってきて、同じルートを考えていたドイツ人のマーティンとすぐまたトゥクトゥクでバスターミナルへ急ぐ。(急ぐといっても、乗り合いなので、また寄り道付き)
バスターミナルにつくと、バンナカサンにいくトラックバスがちょうどでるところだ。既に満員だが、東南アジアのバスに定員なんて言葉はない。乗り込ませてもらった。ラッキー。14時すぎだ。
3時間というがそれ以上かかるだろう。

とはいえ、その日は先を急いでほとんど何も食べておらず、昨晩から乗り物にずーっと乗っていた私は途中で気分がやたら悪くなり、えらいことになったのだがまあなんとか気を取り直す。ごめんよ、みんな。
バスは鶏やら野菜やらいろんなものを、あちこちの村を回って積んだりおろしたりして、色んな人を乗せたりおろしたりして、そしてまた幹線道路に戻る、これを延々と繰り返す。
道々では子供が手を振っている。のどかな風景が続く。13号線は鋪装されており、走るのには何の問題もない。

17:30。いいかげんその繰り返しにも飽き、我々も疲れてぐったり。ラオス人乗客も少なくなったころ、バンナカサンに着いた。ここからドンデッドまで渡し船で10分ほどだ。
「つかれたけど着いてよかったぜい」などと言って、マーティンはラオスのビール「ビアラオ」をすでに手にしている。いつの間に買ったんだ。
渡し船にのり、まんまるな赤い夕日がメコン川のむこうに沈むのをみながら、お互い乾杯した。ビールうまし。


・・・で、終わればいいのだけど、現実は寝床探しだ。これが現実。
このドンデッドは電気もない小さな島なので、もう真っ暗。幸い小さいところなので、川沿いに空いているバンガローを見つけた。1$。
隣のバンガローでは、今日サワナケットから着いたばかりだという二人の旅行者がギターをひいて歌を歌っていた。マーティンとその旅行者の4人でおつかれ乾杯と夕飯。
水風呂をあびた後、ギターと歌声を聞きながらろうそくの明かりの中でテラスのハンモックに揺られながら静かにビールを飲む。空を見上げたら、満天の星。みんなでろうそくも消して、黙って空を見上げる。ギターの音が気持ちいい。
しみじみ、幸福感にひたひた満たされてきた。
疲れたけれど、気分悪くなって大変だったけれど。しみじみ、ああ今日はいい日だったなあと。
旅の喜びってこんなところにあるのだ。
(1/10記 気が付いたらこの日はデジカメで何もとっていなかった。よって写真なし)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 01, 2005

時間つぶしにお寺巡り/バンコク

早起き。ファランポーン駅まで行く。11時間の長旅なので、昼間よりも夜行のほうが時間的によかったので夜行で行くことに。2等の寝台も残席わずか。とにかく、これでバンコクは脱出できる。
この国は朝8時と夕方6時になると公共機関では国歌が流れ、駅に溢れる人々は立ち上がって国家を聴く。8割以上はきりっとしているわけではないが、とにかく立ち上がっている。うろちょろしていると目立つので、私も不動体制をとる。毎度毎度こうやって国歌で立ち上がる光景を見るとタイという国家権力の末端までの強烈な浸透を感じるのだなあ。

結局まるまる2日バンコク滞在という羽目になってしまった。夜まで何をしようか。
帰りに駅から歩いてチャイナタウンで朝食にする。臓物の麺がとてもうまい。少し高めだが納得の味と量だ。部屋で昼まで寝た。昨日もよく寝たのに、なぜだかとにかく眠い。
午後はだらだらしていてもつまらんので、元旦だし寺巡りをする。博物館に行きたいが休みらしい。ワットプラケオ(エメラルド寺院)は高いのでワットポー(大きな「ゴールデン寝釈迦」がおはしますところ)やワットアルンへぶらぶらと船にのって散歩に出かける。
0101watpo

ワットアルンの近くの寺で私も頭を下げてお参りをして、お坊さんに水をかけてもらって黄色いひもを頂戴する。腕に巻く。ちょっとよろこぶ。
0101wat._omairiJPG

でも、エメラルド寺院では「お坊さんポスター」がタダでもらえたらしい。ちくしょう。行けばよかった。

夜行に乗る前、駅のシャワールームで水浴び。10B。さっぱりした。私は水浴びでいいので、必ず汗は落として休みたいと考えるタチ。あんまりきれいなシャワールームじゃないが上等上等。
夜9時、夜行出発。下段をとってもらった。アユタヤまでは起きて外を眺めていたが、寝袋を出して上に毛布をかけて早々に休む。隣が食堂車で、強烈なにんにく臭だ。誰が何食ってんだろ。(1/10)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 31, 2004

バンコクから脱出できない

早起き。カンボジアビザを取るため、#53バスでルンピニ公園横のカンボジア大使館まで行く。道は空いている。しかし門番に「3日までお休みでーす」と言われた。むむむ。
仕方ないので公園で朝ごはん。チャーハンをぱくつく。公園は朝も早くから集団でお茶を飲んでおしゃべりに興じる爺婆と、健康のためランニング中のひと、自転車を乗り回す子供、太極拳講座などなどでいっぱいだ。騒々しいバンコクとはまた違ったバンコクの一面。
一体朝から何で集まって喋っているんだろう?
1231runpini
私はラオス南部にいくかアンコールワットに行くかを考えながら池を眺める。
豆腐のようなものにショウガの味のする暖かい甘い汁をかけ、かりんとうを浮かべたものの屋台があったのでパクパクと食べる。おいしい。
1231tofu
やはり、行ったことのないラオス南部に行こう。

ラオス南部に近いタイの街はウボンラチャタニー。バンコクから11時間ほどの遠い街だ。
安宿に戻って荷物を持ち、タクシーを呼び止める。(平気で国内線やタクシー乗るようになったのはここ数年の最大の変化だ)
「モーチット(北バスターミナル)へ行って」
「ヤだ」
3件も乗車拒否される。タイ語しか通じなかったのでよくわからなかったが、4人目でやっと事情がわかった。・・・

「昨日からイサーン(タイ東北部)へみんな帰るんで、モーチットがベリー混んでるんだよ」
なに。帰省ラッシュ? いままでこの時期はよく旅をしているが、こんなことは初めて知った。旧暦の正月なら分かるが。さらに私が行こうとしているウボン(略す)は、イサーンの代表的な街である。運転手は「ウボンに行くのは混んでるとおもうよー、ウボンの人はたくさんバンコクで働いているから」と続ける。
その運転手になんとかモーチットまで行ってもらう。回り道したので高かったが。
しかし。私はモーチットのターミナルに入った瞬間に諦めた。
バスの窓口は、長蛇の列。どこが列の最後尾かもわからない。椅子のあるところは人で埋め尽くされている。とにかく、人がいっぱいいる。いっぱいいっぱいいる。
1231mochit

・・・案の定、夜行も埋まってるということで諦めてモーチットを後にする。この状況では、今日の移動は諦め、明日出直す方がよさそうだと考えた。BTSとバスでカオサンまで戻る。(もうタクシーは使えない)
旅行代理店で飛行機の状況を聞いてみたが、全て満席。明日も満席。今日の夜行電車ももちろん満席。
コーヒーを飲み、道ゆくファラン(外国人)の旅人を眺める。まあこんなこともあるか。

午後の長い間、安宿で昼寝。疲れた。
1231redcurry
夜、ようやく起きだしてレッドカレーを食べた。ここの屋台はおっちゃんが丁寧に作っており味がいい。軒先でチャンビール2本。飲み干しながらサワディーピーマイカー(新年おめでとう)。カオサンロードで爆竹の音。ワット裏は静かに新年を迎えた。
すすめないなあ、進みたいのに。予想外の場所で新年を迎えてしまった。ビールもう一本。
バスより席確保が確実な鉄道で動くことに決める。(1/9記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 30, 2004

変化の早いバンコク安宿エリア

昼間、カンボジア行きは諦めていないので$両替などを都内で行う。
夕方成田発。
アメリカ系エアラインはそれ自体悪くはないのだが、成田でも遠くのゲートだったり、バンコクでも遠くのゲートかバスになる。結局、着いたあともかなり時間がかかる。今回は出発も遅れ、バンコク着も相当遅い上、さらにゲートまではバスだった。ううう。
エアポートバスは幸いにもまだ走っていたのでいつもの、カオサンロード行き2番に乗る。タクシー乗り場は長蛇の列だが、バスはガラガラ。
いつものカオサンワット裏のゲストハウス群へ急ぐ。しかし、すべてfull。どうしたワット裏。あれ、こんなところにも新たなセブンイレブンが。あれ、むちゃキレイな「ホテル」が建っている。
結局、数件当たって300Bのシングルしかあいておらず。高。
夜1時回ってるし仕方ないが、最近のカオサンの状況、ワット裏にまで及んだ状況を考えると「どこかが必ず空いてるけど結構快適なエリア」を新たに発掘する必要があるなあと思いながら、麺をすすって、そのへんでビールを飲んで寝る。
(1/9記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)