2007.06.03

朝の買出し

旅先では朝が早いので、早々に市場へでかけて朝食を物色することになる。
朝から麺やパンやお粥の選択肢があるカンボジアは朝から迷わされることになるのだが、こんなのんきなプー太郎は私だけで、他の人たちはすでに仕事や家事の時間なのであった。
朝、市場が動いているうちに買い物をして家族の料理を作る。野菜を売る、肉を売る。鮮度が命なので朝からみんな忙しい。
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忙しい人の間で、どうもすいませんねえと思いながら、混じって麺をすする。
自分という存在はここでは異質であり、なくてもいいもんだという通過者=旅行者であることを改めて感じながら。

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2006.10.16

カンボジアの満載トラック

東南アジアで道路を走っていると、行き交うのは荷物満載のトラック。鉄道はインフラ投資が必要なので、こういった国々では鉄道などよりもバスやトラックが発達している。過去、トラックドライバーはきっとかなりの尊敬を集めていたのではないかと思う。
バスは、人のみならず物資も家畜も一緒に運んでいく。
カンボジアは、その度合いがすごい。東南アジア各国のなかで一番すごいと思うのはカンボジアだ。人の乗せ方、物資の乗せ方もこれでもか!といわんばかりだ。
頭をよぎるのは、「イナバの物置、100人乗っても大丈夫!」という言葉。

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つめこんでます。前から見ると、横幅をおおきくせりだしているのがよくわかる。これが普通なのがカンボジア。
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これでは終わらないだろうな。もう一段ぐらい上に載せそうだ。
そして一番上には人が乗るのがカンボジアだと私は思っている。


カンボジア関連はここまで。
ブログはあとで写真を足したりしています。>>こちら
Flickrで一部写真をアップしました。>>こちら

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2006.10.15

カンボジアの描写豊かな看板

先にいくつか変な看板をあげたが、この国は戦乱により識字率は低く、銃があふれていたり、地雷がいまだにうまっている。そのため、銃廃止、地雷を見つけたときの対応法などを看板で人民に訴える手法は多い。
よく見かけるのがエイズ、銃、地雷。
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公共の看板も描写豊かであるが、一般の看板もしかり。
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なぜ、スーパーマンにケーキとパン? パンがフランスパンなのはいかにもカンボジアらしい。

あとはおまけ。
●SONY?のこと?
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●バッタンバンで看板がつけられるのをずっと見ていた。この重そうな看板、たった3人で作業をしていた。
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2006.10.08

カンボジアの楽しい看板 続き

国境の町、ポイペット。ガラのよろしくない町で発見したのが、この不可解な看板。
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よくわからないのが、右の選択肢です。
1)清く正しい交際開始。
2)ちょっと深入り。ダンスパーティーなんかにでも行ってみましたってこと?
3)もっと深入り(爆) 左にあるゴムがリアルです。
4)大人の色気ですね。でもなぜか後悔している風?。。。

そしてもっと判らないのが、真ん中の上。なぜこの町の人は夜逃げをしようとしておるのでしょう?
この左側で人々に説明している人は一体何を言っているのだろうか。「ゴムつけましょう」じゃないしな。。。

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そしてどの安宿でも見かけるのが、No.1のポスター。
No.1はコンドームのブランドであり、非常に東南アジア地域で認知が高く、信頼(?使った事がないので分かりませんが)されているブランドであります。
いかがわしいバッタンバンのゲストハウスで、この箱とビニール袋が廊下に落ちていたんですが、まあ見ないふりです。わはは。

ちなみにこのTシャツを着ている人もたくさんいるお国柄でございます。みんな着るだけじゃなくてホントに気をつけるんですよ。

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2006.10.03

カンボジアの看板は楽しい

以前カンボジアのアンコールワットなどに行ったとき、思ったことが「看板が面白い国だ!」。
エッチ寸前のからみあう男女のイラストにコンドームを持った医師の絵が描いてあったり、銃廃棄、地雷を見つけたら近寄るな→人を呼べ!、といった具合に、識字率が低いゆえの対策であろうが非常に豊かな描写でかかれている。
今回も面白いのをいくつか発見。バスの中から見ただけで撮影不可能だったものもいくつかあります。。。

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おとうさーんいってらっしゃーい!
出稼ぎでしょうか。 
バイタクで出て行こうとしています。お父さんの首にはクロマー。高床式の家。カンボジア庶民の生活が実にリアルに描かれております。@ストゥントレン

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あれ? お父さんは出稼ぎから帰ってきたようですが、家族から明らかに歓迎されていません。。。一体どうしたというのでしょう。。。
ホテルの壁にあったので、フロントのお兄ちゃんに聞いてみましたが「ファミリーはアンハッピーだ」という説明で、よくわかりませんでした。残念。@バッタンバン

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2006.10.01

ビアラオ世界戦略

私は、ラオスに旅をする都度、ビアラオのすばらしさを語り続けてきた。わはは。
過去もここに書いた。おそらく、ラオス旅した旅行者でビアラオの事を語らない人はいないはずだ。

さて、今回の旅を通して見たところビアラオは大きな戦略に出ているようである。

最初の夜、ビアラオを飲もうとして気がついた。「ラベルが変わったんじゃなかろうか?」
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そのときは記憶だけだったので確証は持てなかった。しかし、毎度ラベルを剥がしている自分は半ばラベル変化を確信した。どことなく安っぽいデザインになっているのである。

そしてキャップ。
これも変わった。
以前のゴールドのキャップではなく、白く塗られたキャップに変わっている。
日本に帰り見比べた。変わった。明らかに、変わった。
これが2005年1月採取。

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<違い>
ラベルが 横長の四角 → 縦長の楕円に近い形に。
キャップが ゴールド部分 → 白塗りつぶしで高級感にいささか欠けるデザインに。

で、その日の朝、タイ側チョ−ンメックの国境脇のスタンドで「ビアラオ」が置いてあったのに気が付いた。前はなかったが、なぜだろう。とはいえここは国境だしな、と横目でしっかり気にしながら通り過ぎたのだった。

以前にも書いたが、ビアラオはラオスだけのものだった。陸路の国境を超えても、ビエンチャンからノンカイ(一番メジャーなタイ側国境)を超えても、ビアラオがなくなって、シンハーやチャンビールに変わるのだ。ビールの違いを陸続きで人もおなじようでいて、国境を感じるものとして私は強く意識してきた。国境は線ではなくビール?だということである。
ビアラオはラオスでしかのめない、それが変わりつつあるのだろうか?

さて、そしてカンボジアである。
最初に到着したストゥントレンで休憩していた時、冷蔵庫の中、アンコールビアの横に、ビアラオが入っているのに気が付いた。
おや。しかしここも国境近くの町なのでなんともいえない。
そして到着した首都プノンペン。
ホテル店先の冷蔵庫にもしっかりビアラオが入っているではないか。それも大量に。
2杯以上飲むとビアラオがもらえる、というキャンペーンもやっていた。

どういうことだ? 下のバーでアンコールビアを飲みながら考えた。

ビアラオは輸出戦略に出たと思われる。
ラオスは旅行者の間でまことしやかに流れる噂で、「国家収入の1/3は旅行者のビザ代(30ドル)だ」というのがある。ベトナムコーヒーもタイコーヒーはほとんどラオス産だというのもきいたことがあるが、なんせ資源がない産業のない小さな国なんである。
そんな国でありながらビールだけはとにかくウマイ。なぜ?と思うほどビールはちゃんとしている。旅行者はビアラオが飲みたくてまたラオスを訪問する。(私はそうだ)
資源のないラオスが、外貨をしっかり稼げるビアラオに目をつけたとしてもおかしくない。まずは周辺国に展開し始めたのではなかろうか。
今や主力輸出品目の中に「ビール」と入っていたりして。。。

最後にカンボジア西部のバッタンバンからバンコクまでバスをのりついで駆け抜けた。その時、タイ側のアランヤプラテートの市場でもビアラオはあった。
そして、遂にカオサンでも「ビアラオ」のはり紙を見つけてしまった。
今やラオスに行かずともビアラオは飲めるようになった。
ラオスの輸出品目として経済を支えているのだろう。

しかし、フクザツな思いである。

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2006.08.03

たゆたうメコン

パクセからメコン川沿いにプノンペンまで辿った。厳密にいうなら、メコン川沿いをずっと走っていたわけではないが。

メコン川には日本の援助でどんどん大きな橋がかかっている。
底がゆるいので橋をかけるのは昔の技術では難しかったというが、ラオスのメコン川もどんどん橋が設置され、いままで渡し船だった国境ももうすぐ橋ができるとか。
ラオスからカンボジアに入り、ストゥントレンへは対岸から渡し船に乗った。とはいえここも新しい橋が近くににできつつあった。
コンポンチャムの橋は日本語「きずな橋」。夜も煌煌とライトに照らされ、夜もトラックが走る。一方で対岸の船着き場あたりは、闇夜。

昔のような渡し船でのんびり、という姿はあまり見られなくなっているのだろう。
近藤紘一は「メコンの夕暮れ時の渡し船は最も愛したインドシナの風景の一つ」と何かに書いていた。(彼だったはず)

でもメコンの流れは何ごともないかのように穏やかで、渡し船は少ないながらも行き交い、夕暮れどきには人が涼みに歩く。屋台が出る。子どもが遊ぶ。
メコンが朝日に照らされる姿は、生命力を感じさせる。朝の漁に出る船のエンジンも勢いよい。
夕日に照らされるメコンは今日壱日あったことを心穏やかにしてくれる。車のクラクション、排気ガス、土煙。すべてを忘れ、川を眺める。

そんなメコンをみながら飲むビールはしみじみうまい。

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2006.07.31

うろうろメコン沿い旅

10日ほど、夏休みに出ておりました。
今回は、のんびりしたいというよりは、うろうろしたい気分だったので、
バンコク→ウボンラチャタニー(空路)→ラオス南部(ドンデッド)→カンボジア北部(クラチエ、コンポンチャム)→プノンペン→カンボジア西部(バッタンバン)→アランヤプラテートで国境超え→バンコク
という旅となりました。プノンペンからバンコクへは空路と考えていたのですが、結局のところ時間があったのと、カンボジアの交通機関と道路が想像以上によくなっていたので陸路で戻ってきました。

以前、聞いていた話では相当大変なんじゃないかと思っていたのですが、ラオス→カンボジアも旅行者を集めてツアー化されており簡単。カンボジア国内も道路の整備とともに公共バス(それも時間通りに発車する!)が非常に多く走っており、少し高いけれど問題なく移動できました。今回の驚きはそこに尽きるかな。
結構忙しいルートでしたが、プノンペンまではメコン川を眺めつつのんびりできました。

ぼちぼちヒマを見て、アップしていきます。

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2006.07.29

あっさり国境超え。

朝、6時半ごろに市場横でソバの朝食を終えて7時にホテルをチェックアウト。
国道沿いにあるピックアップトラックの乗り場から国境のポイペトまでいくトラックを探さなければいけない。快適な大型のバスは昼までない。おそらくプノンペンから来るバスのためだろう。
ポイペトは7年前、タイからカンボジアに入ったときに通った。国境といって片付けるには雑然と騒然、物騒な町だったことが記憶にある。国境からピックアップトラックを捕まえたがその後の道は「クレーター」だった。
カンボジア西部は最後までクメールルージュの支配下にあったところなので、道路整備やらも相当遅れている。今回のバッタンバンからポイペトも過去の情報だと「相当な悪路」が想像され、トラックバスの荷台ではなく中(助手席となり。ただし一人ではなく数名つめこまれる)に乗る必要があった。

思ったより簡単にトラックバスは見つかったのだが、ポイペトに行くからだろうか、妙に馴れ馴れしい気味悪い男たちが荷台に乗っていて、あまりいい思いがしなかった。それを客引きの若いお兄ちゃんは察しただろうか、「あっちに同じ値段で車がある、狭いけれどあっちが早い」と言ってくるではないか。
願ったりかなったりで、客引きについていくとそれは「トヨタのカムリ」だった。
こういう未舗装が多いカンボジアこそRVだとか4WDという車の出番だと思うのだが、カンボジアでは「カムリ」がやたら多い。事情はよくわからないのだが。。。とはいえこのカムリもこの悪路を無事に切り抜けているわけではなく、フロントガラスには渦巻き状のヒビが入っていた。
200609cambodiakamuri
カムリの後部座席には既に3人、前には1人のオバちゃんがいた。ポイペトまで「仕事で」行くと言う。オバちゃんたちは小さいので、4人ですわっていてもそう狭いわけではない。
前には、その後で米俵を持ったおばちゃんが一人乗ってきた。さあ、出発かなーなどと甘い事を考えていたら、最後に一人若い学生風の男性が詰め込まれてきた。彼がいくらカンボジア人といえど、この女だらけのぎゅうぎゅうな座席に一瞬躊躇しないわけがなかった。。。
ドライバーは小柄な若い男の子、合計8人を乗せて出発である。いくら小柄なカンボジア人といえど、前は相当狭いはず。
この詰め込まれ方を見るにつけ、毎度ながら「イナバの物置き、何人のっても大丈夫!」というコピーが頭によぎるのであった。

道はやはり未舗装道路だった。砂埃がすごい。まわりには水田が広がり、牛が畦道の草をたべながらのんびり歩いている。。。。
とはいえこのあたりはかなり後期までクメールルージュの支配下にあったのではないだろうか。地雷はまだどこかに埋まっているのだろうか。
今は使われていない鉄道線路は人々の生活場所となっていた。この線路はタイの国境を超えて続いており、復活させようという計画があるがいつになるのだろう。

途中、オバちゃん達と車の中からフランスパンのサンドイッチを買い求めた。
パパイヤの千切りを酢漬けしたものとハム、そしてチリソース(かなり辛い)をはさんだバゲットだ。これが思いがけなく美味だった。作ったらすぐ食べないといけないが、フランスパンとパパイヤの甘酢がこんなに合うとは。日本に帰ったら試してみようと思った。

いつの間にか、中継の町/シソポンも抜けてしまった。道がよくなっているからだろうか、以前聞いたよりもずいぶん早いペースだ。
と思っていたら午前10時にはポイペトのイミグレ前のロータリーに到着していた。
カジノが乱立し、イミグレとイミグレの間にも大きなカジノがあり、午前中だというのに中国人らしい団体が博打に興じていた。私はその脇をすり抜けてトイレを借りた。きれいな西洋トイレであった。。。

あっさりカンボジア出国タイ入国。7年前のおっかなびっくりもなかったのは、私が年をとったせいもあろうが。。。
アランヤプラテートのマーケットは大きく変わっていた。以前は木造のうすぎたない暗いマーケットであったが、今やコンクリートでこぎれい、華やかとすら感じるこぎれいなマーケットに変ぼうしていた。
一安心して、アイスコーヒーを飲んでオバちゃんのバイタクでバスターミナルへ。
国境からはたっぷり10分以上バイクに揺られる必要があるが、無事以前見たようなバスターミナルに到着し、11時半のバスに乗る事ができた。
途中、ひき肉の辛い炒め物とライス、焼き鳥をかいバスの中で「うおっ辛い」などと独り言をいいながらむしゃむしゃ食べた。口直しには青いマンゴーをぽりぽりと。

ウィークエンドでにぎわうバンコク、モーチットに到着したのは4時すぎだった。
予想以上スムーズに、バッタンバンからバンコクまで来れてしまった。

その後は、カオサンの寺裏でベッドとまくらが快適なゲストハウス(トイレ風呂はinside!)に部屋を取り、いつもの洗濯屋に頼み、ぶらぶらしながら日本語の古本を買った。シャワーの後で本をひらいて、ようやくビール。
1日でここまで来れるなんて信じられないことだなあ。

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2006.07.28

バッタンバンと旅の方法と

8時半のバスでバッタンバンへいく。バスターミナル近くの中華料理屋でヌードルを食べたが、高値でどうもツーリスト価格だったようだ。路上で赤い餅米とキビ(黄色いお米みたいなもの)にココナッツをふりかけた、ごはんともおやつともつかないものを買い求めてバスの中で食べる事にした。
バスは定刻通りに発車した。
騒がしい町を通り抜け、国道へ出る。国道5号線も整備されており、これだと定刻通り着くなと思いながら私はあっというまに眠ってしまった。
喉はあまりよくないが、移動しているほうが気分的には楽だ。
12時前に国道沿いの食堂で昼ご飯と相成った。少し高めではあるが、味はまあまあだった。
カンボジアでは食堂に入ると、氷入りのコップが出されるが、客は一度水などで氷を洗ってからお茶等を注いでいる。私も見よう見まねで同じ事をやるが、不思議とこの旅では氷絡みのお腹を壊すことがない。今までは氷を食べた後(かき氷とか)は必ずお腹が緩くなっていたものだが、カンボジアの氷の質が上がっているのか? そういえば氷屋はたくさん見てきた。
同じバスに乗っていたもう一人の外国人が話し掛けてきた。年は四十ぐらいだろうか。時間があったのでいろいろ話をした。彼はずっとアジア地域に住み最近まで中国で英語教師をやってきたが、カンボジアで仕事したいと思ってやってきたそうだ。だがプノンペンは「ガイジンがやたら多くて仕事なんかないね」ということであった。
こういうガイジンはかなり、多い。そういう人生をおくってみたい私なんかは、「ちっくしょー英語がはなせるから人生フレキシブルでいいよなーっ」(羨)と思ってしまうのであるが。
しかし彼からは、タイ語圏の人の英語の癖を教えてもらったりとなかなか有意義な話しが出来たのはよかった。

バスの社内ではだいたいVCDがかかっている。初めはくだらない女の子3人組の踊りと歌だったが、パリスヒルトン並みにやる気がない、ゆらゆらした踊りで楽しく無さげである。でもこの映像は別のところでも見たので、はやっているグループなのかもしれない。
くだらない踊りが終わり、コメディ番組に変わると乗客は大笑い、大歓声。何気なく見ていたが、わかりやすいコメディだ。見ながら気が付いたのだが、この番組は視聴者も出演者も全く同じ椅子、アジア地域で食堂などに使われているプラスチックの椅子に座っている。テレビの現場も、日常品なのである。

1時過ぎにはバッタンバンについた。
いっしょに乗っていたスティーブと客引きをふりきりながらだらだらと町の方角へ歩きはじめた。まだ陽も高く、町も小さいので適当にホテルを何件かみて決めようと思っていたため、客引きは面倒くさい。
スティーブは道ぞいの家具屋に入ったり、私は路上の屋台を眺めたりと時間をつぶしながらダラダラと進んだ。しかし、こいつらはバイクの速度を落としてゆるゆるとついてくるのだな。
スティーブは客引きが嫌なようで、ぶつぶつと文句を言っている。
喉がかわいたのでとりあえず、市場の中でコーヒーを飲むことにした。
私が客引きをけむにまきたいときはそのへんでお茶を飲むという手段に出るのだが、全く同じ事をスティーブが提案してきたのに、私は少なからず衝撃を受けた。
私の旅の方法は、どうも「オヤジ臭い」のではないかという危惧である。。。

市場のなかでアイスコーヒーを飲みながら、店の女の子からスティーブは安宿の場所を聞き出した。大通りを渡った角だったので、みつけやすかった。
ゴールデンパロットというホテルで角にあるので見晴しはよいがちょっと古い。ただ便利なのでそこにした。廊下にはカンボジアではどこでも見る「No.1」の広告が貼ってあったりと「ちょっと如何わしい」臭いのするところである。
No.1とは、コンドームのブランド。2階の廊下にいは箱ごと捨ててあったりと、まあ、安宿だけにそういうことにも使われているようであった。

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